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お城めぐりを楽しむための【現存天守12コ】をたった1記事で解説!

解説!現存天守
お城好きな武将
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現存天守とはどういう天守のこと?

現存する天守の中でも国宝と重要文化財に分かれているのはなぜ?

今回は「現存天守」の疑問について解説していきます。

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ゆうき
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この記事では「現存天守とは何か?」「国宝の天守と重要文化財の天守の違い」などを解説していきます。

今回の内容
  • 現存天守とは何か?定義は?
  • なぜ現存する天守は12基しか残っていないのか
  • 国宝の天守と重要文化財の天守の違い
  • 現存する12天守を紹介!

では解説していきます。

Contents

現存天守とは江戸時代以前に建てられた天守のこと

現存天守MAP現存天守MAP

現存天守とは「江戸時代以前に建てられた天守のこと」です。

なので明治時代以降に建てられた(再建された)天守は含まれていません。

現在は天守12基が現存。

現存天守はすべて国の文化財に指定されていて、国宝が5つと重要文化財が7つです。

    国宝

  • 犬山城天守
  • 松江城天守
  • 松本城天守
  • 彦根城天守
  • 姫路城天守
    重要文化財

  • 伊予松山城天守
  • 宇和島城天守
  • 高知城天守
  • 備中松山城天守
  • 弘前城天守
  • 丸岡城天守
  • 丸亀城天守
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なぜ12基の天守しか残っていないのか?

姫路城天守姫路城天守

全国にお城はたくさんあるけど、なぜ天守は12基しか残っていないのでしょうか?

これには江戸時代から明治時代までのお城に関する法律と戦争が関係していました。

江戸時代初めに幕府は武家諸法度を出して大名を統制します。この中に原則1藩につきお城は1つまでとする一国一城令がありました。
一国一城令についてはこちら

それまで複数のお城や天守を持っていた大名たちはそれらを壊さなくてはいけませんでした。でないと幕府に反逆だと疑われるからです。

そして江戸時代を通してお城は火災や落雷に何度もあっていて、焼失後に再建されなかった天守もありました。(江戸城など)

江戸から明治時代になると政府から廃城令が出されました。廃城令で全国のお城は、軍が使うお城と民間へ払い下げるお城に分けられています。
廃城令についてはこちら

軍が使うお城では新しい施設を建てたり訓練場にするための邪魔になることから天守をはじめ多くの建物が取り壊されました。

民間へ払い下げられたお城は材木として売られていきます。

廃城令でお城が壊されていく中、天守の文化財的な一面から保存運動をしている人も多くいました。

昭和前期(1940年代)まで天守は20基残っていました。

しかし太平洋戦争での空襲で水戸、大垣、名古屋、和歌山、岡山、広島、福山城の天守7基が焼失しています。
お城の歴史 大正・昭和前期についてはこちら

また戦後1949年に松前城天守が火災で焼失したので、現在の12基の天守のみが現存している状況になりました。

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同じ現存天守なのに国宝と重要文化財に分かれているのはなぜ?

国宝天守と重要文化財の天守国宝天守と重要文化財の天守

重要文化財と国宝は文化財保護法によって定められていて、有形文化財のうち重要なものを重要文化財に文部科学大臣が指定することができます。

そして国宝は「文部科学大臣は、重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものを国宝に指定できる」と定められています。

国宝になっている天守はおおまかに古さ、美しさ、歴史・建築的価値が特に優れている点が評価されていると言われるけど、明確な基準があるわけではありません。

そこで2015年に新たに国宝に指定された松江城天守の事例を見てみましょう。

天守の構造的特徴が明らかになったことと、再発見された祈祷札から天守の完成年が1611年正月だと判明したことの2つによって、松江城天守は国宝に指定されています。

重要文化財と国宝のあいだで明確な基準があるわけではないけど、国宝になるためには他の天守とは違う特徴などを発見して文部科学省や文化庁に認めてもらう必要があります。

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国宝天守5つを紹介!

現存最古級の犬山城天守

犬山城天守犬山城天守

犬山城天守は2段階に分けて築かれていました。

天守の1・2階部分が1601年に築かれていて、そこに望楼部分(最上階)を増築して1620年に現在の形に完成。

天守最上階にはじゅうたんが敷かれています。

これは7代城主・成瀬正壽(まさなが)がオランダ商館長と親しくしていて、じゅうたんを譲り受けて敷かれたものと推定されています。

犬山城天守はデザイン・サイズもちょうど手頃で、全国の復興された多くの天守で犬山城天守がモデルにされました。

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彦根城天守

彦根城天守彦根城天守

もともと大津城にあった天守を改修・移築したのが彦根城天守。

解体修理の時に材木に残されていた痕跡から移築されたものと判明し、さらに材木に書かれていた文字から1606年に完成したと明らかになっています。

3重3階地下1階と小ぶりな天守だけど、屋根にはさまざまな破風が付けられていて、見る角度によって変化に富んだ外観をしています。

彦根城天守は外観にも気を使う一方で、多数の狭間が設けられていて戦闘的な一面も兼ね備えています。

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世界遺産にもなっている姫路城天守

姫路城天守姫路城天守

5重6階地下1階で、20mの石垣の上に高さ31.5mの天守が建つ。

これは現存する12天守のなかで最大の高さ・規模を誇っています。

姫路城天守は連立式天守といわれる形で、大天守と3つの小天守を渡櫓でつないだ形。

天守にいたるまでの経路、天守入り口の複雑さや天守内部にある「武者隠し」「石打ち棚」「出窓格子」「狭間」など戦闘を意識した装備・設備が色々なところで見ることができます。

また大天守は東西2本の大柱が支えていて、この大柱を基準にそのほかの柱や梁などが組まれています。

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2015年に新たに国宝になった松江城天守

松江城天守松江城天守

松江城天守は1611年に完成で、4重5階地下1階で高さは約22.4m。

松江城天守は戦闘的天守と言われています。

付櫓から天守へ入ると右・左と通路が曲がっていて、この通路を真上から攻撃できたり、この後の扉の左右には鉄砲で攻撃するための穴(狭間:さま)が付られています。

また扉の背後にはL字状のテラスがあり、扉に迫った敵を背後から攻撃できるようにしていました。

他にも攻撃の工夫があり、防御を何重にもしています。

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水堀に映る天守が美しい松本城天守

松本城天守松本城天守

1590年に石川数正・康長親子が城主になって、松本城を改修。この時に天守や石垣を築いていました。

しかし現在の天守は層塔型という新しい形なので、1590年代に築かれた天守とは別のものと考えられています。

現在の天守は1605年頃に建てられたと考えられていて、このときに渡櫓と乾小天守も建てていました。

乾子天守の反対側には辰巳付櫓と月見櫓あって、この2つは1633〜38年ころに増築されたものです。

月見櫓は開放的で朱塗りの廻縁や高欄があり、平和な江戸時代の増築を表しています。

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重要文化財の天守7つを紹介!

鉄壁の連立式天守:伊予松山城天守

伊予松山城天守伊予松山城天守

伊予松山城にあったもともとの天守は1620年に加藤嘉明が5重天守を完成させていました。

しかしその後に城主になった松平定行が幕府への配慮から5重天守を解体。3重3階地下1階に縮小し再建しています。

この再建された天守も1784年に落雷で焼失。

幕末の1852年になってようやく天守が再建されました。幕末に再建されたことで現存天守でも最も新しい天守が伊予松山城の天守です。

姫路城天守と同じ連立式天守で、大天守と小天守、隅櫓を多門櫓などがつないでいます。

天守の外観がつぶれたような印象を受けるのは、もともと5重天守用の天守台(石垣)に3重天守を建てているので、高さに比べて横幅が広いためです。

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左右対称で均整のとれた宇和島城天守

宇和島城天守宇和島城天守

宇和島城にはもともと1601年に築城名人の藤堂高虎が築いた天守がありました。

1662年に幕府へ「天守を元のように建て直したい」と届け出を出して許可をもらったものの、建てられたのは構造も外観も違う現在の天守でした。

宇和島城天守は3重3階で高さが約15.7m。

破風や窓が左右対称になるように配置されていて、均整のとれた外観をしています。

天守内は障子戸が使われていたり、階段の手すりがお寺のように装飾が施されていたりと、御殿建築の特徴も見ることができます。

解説!宇和島城の天守
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高知城天守

高知城天守高知城天守

1601年から山内一豊が高知城を築城開始して、1603年に本丸主要部と一緒に天守も完成。

しかし一豊が建てた天守は1727年の火災で焼失。

土佐藩は幕府に許可をもらって、再建を開始。1729年から24年間かけてすべての建物を再建しました。

この中で現在の天守が1749年に再建されています。

高知城天守は江戸中期に再建された天守だけど古式の望楼型天守という形。

なぜなら幕府が旧来通りの復旧を認めたことと、藩祖・一豊が建てた天守を再現したい土佐藩の思いから現在の天守の形で再建されました。

高知城天守はほかの現存天守とは違って天守台(石垣)がなく、御殿などと一緒で本丸の地面に建てられているのが特徴の一つです。

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現存天守で唯一山城にたつ備中松山城天守

備中松山城天守備中松山城天守

1681年に水谷勝宗が改修して、備中松山城が完成。このころに天守も建てられました。

天守は2重2階で高さ約11m。これは現存天守で最小になります。

それでも岩盤に石垣を積んでその上に天守が建てられているので、実際の大きさ以上の存在感をはなっています。

天守1階には囲炉裏と装束の間があります。

囲炉裏は籠城戦のときの調理用と暖房として、装束の間は1段高くなっていることから城主が座る場所(御座所)と言われています。

明治時代以降、天守は放置されていて倒壊寸前のヒドい状態でした。その後繰り返し修復されて重要文化財の天守として残されています。

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現存天守で最北の弘前城天守

弘前城天守弘前城天守

弘前城にはもともと5重天守が建てられていました。しかし1627年に落雷で焼失。

天守内に保管してあった火薬に引火して、爆発・炎上したと言います。

200年近くあとの1810年になって、幕府の許可をもらって辰巳櫓(東南隅櫓)を改修し、天守代用の御三階櫓としました。

この御三階櫓が現在までのこる天守です。

弘前城天守は3重3階で高さ約14.4m、最北に位置する現存天守です。

天守の階段はふつう隅っこに作って、スペースを確保しています。しかし弘前城天守では真ん中に階段を作っていました。

これは普段使い、戦闘を考えていないシンボルとしての天守の特徴と言えます。

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建設年代が判明した丸岡城天守

丸岡城天守丸岡城天守

丸岡城天守は1576年に柴田勝豊(柴田勝家の甥)によって築かれた最古の天守だとされてきました。

しかし天守の柱や梁の「年輪」「放射性炭素年代測定」「酸素同位体比」の3つの年代測定の結果、江戸時代初め1620年代以降の木材が使用されていることが判明。

このことから丸岡城天守は戦国時代ではなく江戸時代に築かれて、最古の天守ではないことになりました。

天守は現存最古ではなくなったものの、同年代の天守と比べて古い望楼型天守の形をしていたり、礎石を使っていないなどの謎が残されています。

天守の瓦は付近で採れる笏谷石(しゃくだにいし)の石瓦を使用。寒冷地のためにふつうの瓦では割れてしまうためでした。

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瀬戸内海からも見える丸亀城天守

丸亀城天守丸亀城天守

丸亀城天守は3重3階で高さ14.5mと小ぶり。

それでも3段に積まれた石垣(高さ60m)の上に建てられているので、遠く瀬戸内海からでも確認でき、実際の大きさ以上の存在感があります。

天守は1642年に「御三階櫓」として建設開始。1950年の解体修理のときに木札が発見されて、書かれていた日付から1660年に完成したとされています。

もともと丸亀城の正面(大手門)は瀬戸内海とは反対の南側。

これを瀬戸内海のある北側に変更して、天守(御三階櫓)も本丸の北側に建てることで海を行き来する船からの見映えも意識していました。

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お城めぐりで現存天守を見学しに行こう!

今回は「現存天守」を解説しました。

もう一度内容をまとめておきます。

  • 現存天守とは江戸時代以前に建てられた天守のこと
  • 廃城令や戦災などを乗り越えて、12基の天守が残っている
  • 国宝天守と重要文化財の天守の違いは明確ではないけど、古さ・美しさ・歴史的価値などを評価されて国宝になっている
    国宝の天守

  • 犬山城天守
  • 彦根城天守
  • 姫路城天守
  • 松江城天守
  • 松本城天守
    重要文化財の天守

  • 伊予松山城天守
  • 宇和島城天守
  • 高知城天守
  • 備中松山城天守
  • 弘前城天守
  • 丸岡城天守
  • 丸亀城天守

つぎにお城めぐりをするときは現存天守に注目してください。

下の記事では天守の歴史や形・デザインなどについてまとめています。

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