お城のいろいろ

お城をより楽しむための【弘前城の天守】を3つのポイントで解説!

解説!弘前城の天守
お城好きな武将
お城好きな武将

弘前城の天守にはどんな特徴があるの?

弘前城天守の歴史や見どころ・ポイントを知りたいな!

今回は「弘前城の天守」の疑問に答えていきます。

この記事を書いているのはこんな人

ゆうき
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この記事では3つのポイントにまとめて、弘前城の天守を解説していきます。

弘前城天守 3つのポイント
  • 200年ぶりに再建された天守は櫓を改築した御三階櫓
  • 城内側と城外側で外観が異なる弘前城天守
  • 石垣修理で天守を移動させた曳屋工法

では弘前城の天守を解説していきます。

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Contents

弘前城とはどんなお城?

桜の名所になっている弘前城桜の名所になっている弘前城

青森県弘前市にある弘前城。

江戸時代を通して弘前藩4万7千石の政庁でした。

弘前城が築城されたのは江戸時代初期。津軽地方を統一して豊臣秀吉に領有を認められていた津軽為信が1603年に高岡(弘前)に新しいお城の築城を決定したことに始まります。

為信は1607年に亡くなるけど、跡を継いでいた津軽信枚(のぶひら)が弘前城を完成させています。

東北・関東地方で唯一の現存天守がある弘前城ですが、天守だけでなく櫓3棟と城門5棟も現存していて重要文化財になっています。

また明治時代以降の都市化によって堀が埋められるお城が多いなか、弘前城では三の丸の外堀まですべて残されているのも特徴・見どころの一つです。

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ポイント1:200年ぶりに再建された天守は櫓を改築した御三階櫓

雪化粧の弘前城天守雪化粧の弘前城天守

江戸時代初期に津軽為信・信枚親子が弘前城を創建した当初は、本丸南西隅に姫路城や松本城天守と同じ五重天守が建てられていました。

しかし五重天守は1627年に落雷にあって、天守内に保管してあった火薬に引火、焼失しています。

ここから約200年のあいだ弘前城に天守はありませんでした。

幕末も近くなった1810年、9代目藩主・津軽寧親(やすちか)のときに、幕府から許可をもらって現在まで残っている天守を再建しています。

武家諸法度では天守の建設は禁止されていて、天守だと違反になるので幕府へは「櫓」として届け出を出していました。

そしてもともとあった辰巳櫓を改造して、天守代用の御三階櫓を再建。

広く「天守」と呼ばれるようになったのは明治時代になってからでした。

また天守や櫓では本来スペースを有効活用するために階段を隅に作るけど、弘前城天守では各階の中央に階段を作っていて不便なつくりになっています。

これは戦闘のことは考えていない、お城のシンボルとしての建物と言えるでしょう。

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ポイント2:城内側と城外側で外観が異なる弘前城天守

城内側と城外側で外観が異なる弘前城天守城内側と城外側で外観が異なる弘前城天守

弘前城天守は城内側と城外側で外観が大きく異なることが特徴の一つ。

天守の城外側(東と南面)は狭間のみでまどがありません。(狭間は東面に32個、南面に27個あります)

そして1階と2階には出窓を設けて(1階の出窓は石落しにもなってます)、切妻破風を設置。

反対側の城内側には狭間はほとんどなく、窓が開けられているだけの単調なつくりにしています。

城外側は狭間しかないので、城内側に窓を開けて採光していました。城内側に破風などの屋根飾りも付けられていません。

江戸時代後期には狭間や石落しは合戦がないので不要なもの。弘前城では天守代用の御三階櫓をより天守らしく見せるために、出窓や狭間を設けて工夫をこらしていました。

反対に城内側は城主や家臣しか見ることがないので、飾る必要がなく単調なつくりにしています。

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ポイント3:石垣修理で天守を移動させた曳屋工法

曳屋工法で移動した弘前城天守曳屋工法で移動した弘前城天守

弘前城天守は本丸南東隅の石垣上に建てられていたけど、現在は本丸中央に移されています。

天守を移動させたのは、その下の石垣の修理工事を行うため。

延長約100m、高さ10mの石垣を一度解体して積み直すという大規模な工事を現在行っています。

天守付近の石垣は1983年ころから孕み(はらみ)を指摘され、翌84年から石垣の状態を観測しています。

観測の結果、石垣の孕み出しが明確になって、そのまま放置すると天守を巻き込んで崩落する危険性があるとわかりました。そこで2014年から修理工事を実施。

石垣を修理するためには、上に建っている天守をどかさなくてはいけません。

天守を移動には「曳屋(ひきや)工法」が用いられ、重さ約400トンの天守を本丸中央へ70日間かけて70m移動させました。

曳屋工法とは建物を油圧ジャッキで持ち上げ、その下にレールを敷いて移動させる方法。

重要文化財の弘前城天守では、事前に建物を補強して傷まないようにしています。

その後、1基あたり30トン持ち上げられる油圧ジャッキを27基用いて、天守を持ち上げました。そして天守の下にローラーを取り付けて、レールに載せられています。

天守曳屋には一般人も参加していて、1回100人ほどで15cmづつ動かし、延べ約3900人が天守を綱引きのように引っ張りました。

2016〜18年で石垣の解体は終了し発掘調査を終えて、2021年から石垣の積み直しに取りかかる予定になっています。

弘前城天守を見学しに行こう!

曳家工事後の移動した弘前城天守曳家工事後の移動した弘前城天守

今回は「弘前城の天守」を解説しました。

もう一度内容をまとめておきます。

  • 弘前城にはもともと五重天守が建てられていた
  • 現在の天守は1810年に再建されたもの
  • 再建時は櫓として幕府に届け出されていた
  • 天守と呼ばれるようになったのは明治時代から
  • 城内側と城外側で外観が大きく異なる
  • 城外側は天守らしく見せるために出窓や狭間などを設けていた
  • 天守付近の石垣修理のために曳屋工法で天守が移動させられている
  • 2021年から石垣の積み直しが行われる予定

弘前城を見学するときは、この記事を参考に天守に注目してください。

この記事がわかりやすかったら、シェアしてくれるとうれしいです。

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