お城用語をわかりやすく解説

お城用語をわかりやすく解説 石垣編 信長が絶対権力者になるために必要だった石垣

お城用語をわかりやすく解説 石垣編

今回は、「石垣」について解説していきたいと思います。

戦国時代のうちにお城のなかで何が一番進化したかと言われれば、間違いなく「石垣」だと思います。そして石垣を進化させたのが織田信長です。

室町時代まで、本州、九州、四国のお城は土づくりでした。鍬さえあればそれほど技術がなくても堀も土塁も築くことができました。

けど石垣だけは2、3段は積めたとしても、それ以上は専門の技術が必要になってきます。信長以前にも石垣を使ったお城はありました(観音寺城小谷城など、ともに滋賀県)。これらのお城での石垣は高さ3〜4m程度。しかし、信長は安土城ではるかに高い石垣を築いてしまいます。

なんと約9mもの高さの石垣です。それまでの2倍もの高さの石垣を築きました。

なぜ信長は石垣を重視し、石垣に何を求めたのか、みていきましょう。

この記事では下記↓について解説していきます
  • なぜ信長は石垣を重視し、発展させていったのか?
  • 石垣の積み方と加工具合

では石垣について解説していきます。

石垣の歴史 信長はなぜ安土城を総石垣にしたのか!?

戦国以前の石垣

戦国時代以前の日本では沖縄のグスク以外に大規模な石垣を持ったお城はありませんでした。

古代の「朝鮮式山城、神籠石系山城」や鎌倉時代の元寇に備えて作った「石築地」がありましたが、お城で石垣が使われることはありませんでした。

戦国時代 織田信長が発展させていった石垣

織田信長が登場してくるまでのお城・山城で、石垣は斜面が崩れてこないようにするための、土ドメ程度にしかつかわれていませんでした。

では信長は石垣を使うことのどこにメリットがあるとおもったのでしょうか??

信長が気づいた石垣のメリットには「2つ」あります。

  • 鉄砲は石垣と組み合わせると最強!
  • 石垣で絶対権力者になれる!

鉄砲は石垣と組み合わせると最強!

まずは「鉄砲は石垣と組み合わせると最強!」から解説していきます。

鉄砲と石垣の組み合わせを語るうえで重要になってくるのが、「石垣と土塁の違い」です。

石垣と土塁の比較石垣と土塁の比較

「土塁」は石垣とは違い、風雨(台風など)による劣化(土砂崩れなど)があるので、日常的な修理が必要になります。
大雨のあとには地盤がゆるむので、天守ややぐらのような重量のある建築物を建てることは難しい。

「土塁」に比べ「石垣」は、耐久力があり地震にも耐えられました。そして、石垣の端ギリギリまで大きな建物(天守ややぐら)を建てることも可能でした。

宇都宮城 富士見やぐら宇都宮城 富士見やぐら 土塁の一部だけを石垣にしてやぐらを建てている

石垣の上に建物を建てることで可能になることがあります。

それは「鉄砲を天候にかかわらず撃ち放題にできる」ことです。

やぐらのなかに鉄砲兵を配置することで、雨に弱かった鉄砲(火縄銃)を天候に関係なく使用可能になります。そして、屋根や壁に守られているという安心感から攻撃に専念することも可能になりました。

多門やぐらの内部多門やぐらの内部
石垣と鉄砲の組み合わせは最強石垣と鉄砲の組み合わせは最強

そしてやぐらなどの建物を建てることで、より立体的な防御をすることも可能になりました。

信長は鉄砲の価値について理解していて、戦国大名の中ではじめて大規模に使用しました。そして武田勝頼の軍勢を破った「長篠の戦い(1575年)」は有名です。

長篠の戦いの結果からもわかるように、鉄砲を一ヶ所にたくさん集めて使用することはとても有効な戦術でした。

この戦術をお城にも利用しようと考えたときに問題になるのが、「お城という限られた場所にどのように鉄砲兵を配置するのか」ということです。

長篠の戦いは野戦だったので、横方向に広く並べることができ、縦方向にも数列重ねて並べることもできました。

お城には限られた面積しかないので野戦のような使い方はできません。
そこで信長は石垣を利用することで、複数階建ての建物を建て立体的にすることで、鉄砲兵をより多く配置することを可能にしました。

石垣で絶対権力者になれる!

次に「石垣で絶対権力者になれる」について解説します。

信長は安土城で総石垣に挑戦する前に、小牧山城(愛知県)、岐阜城(岐阜県)でも石垣を利用した先進的なお城作りをしていて、信長の御殿がある周辺だけを石垣で囲んでいました。

そして、安土城では総石垣として、高さ約32mもの天主を建てました。(東大寺の大仏殿が当時としては大きな建築物だったのではないでしょうか!?安土山(199m)のうえに32mもの高層建築物が建っているというのは、そうとうなインパクトがあったでしょう)

信長は石垣を利用することに「鉄砲と組み合わせる」こと以外に、もう一つのメリットを考えていました。

それは、
「石垣、天主、そして小牧山や岐阜城の金華山、安土山の高さを利用することで、絶対権力者になれることです」

これはどういうことかというと、
「山の頂上で石垣で厳重に守られた場所に建てられた天主という高層建築に住んでいる信長は偉い」
ということ。

岐阜城ー城下町岐阜城ー城下町

信長は絶対権力者になることで、家臣をそして他の大名も支配していこうと考えていました。

なので、信長を頂点とする権力構造が視覚的にもわかるようにしたのが、安土城と天主だったのです。

そして石垣は天主を建てるための土台として必要だったし、石垣は太陽光をよく反射したので城下から見た安土城はキラキラ輝いていたことでしょう。

また、石垣を築くには専門技術を持った職人と資金が必要で、お城全体を石垣で囲むことができる信長の経済力を誇示することにもなりました。

 

織田家の領土が拡大していくと明智光秀の坂本城(滋賀県)や羽柴秀吉の長浜城(滋賀県)のようにお城を持つ家臣も出てきます。

信長は権力構造に関して徹底していて、家臣がお城を築くときには、さまざまな制約を設けていました。

  • 位置、場所の決定
  • 規模
  • 築城工事の責任者と協力者
  • 天守の有無
  • 瓦使用の可否
  • 石垣使用の可否

お城の位置や天守の有無について規制することは容易に考えられますが、瓦や石垣の使用まで信長は許可制にしていました。

家臣のお城にさまざまな規制をかけることで、
織田家のなかで安土城がトップであり、その頂点である天主にいる信長こそが絶対権力者であるということを示していました。

戦国時代に石垣が発達したことは、「鉄砲と石垣を組み合わせること」「誰が権力者かを明らかにすること」この2つのメリットを信長が利用したことを抜きにしては語れません。

石垣の積み方と加工具合

ここではさまざまな石垣の積み方とそれぞれの特徴について解説していきます。

まず石垣の積み方は下記があります。

石垣の積み方
  • 野面(のづら)積み
  • 打ち込みハギ
  • 切り込みハギ
  • 乱積み
  • 布積み
  • 算木積み

ではそれぞれの積み方をみていきましょう。

野面(のづら)積み

野面積みー浜松城野面積みー浜松城(静岡県)

石垣には石をどれだけ加工するかによって積み方が違ってきます。

野面(のづら)積みが一番古い積み方で、石(築石や積石といわれる)をほとんど加工しない自然石のまま使用します。

自然石のまま使用するので形は不揃いになり、当然すき間ができてしまいます。このすき間を埋めるために間詰石(まづめいし)を間に埋めて築いていきます。
そして、すき間があるために水はけが良い。

デコボコした石同士をかみ合わせるために、それぞれの石の形を把握したうえで積んでいかなくてはならないし、適切な場所に間詰石を入れないといけないので、もっとも専門的な技術がいる積み方といえるでしょう。

打ち込みハギ

打ち込みハギー姫路城打ち込みハギー姫路城(兵庫県)

打ち込みハギは石の角を削って、石同士のすき間を少なくした積み方です。

石の角を削ってすき間を少なくしているので、野面積みよりは積みやすいでしょう。

しかし石を削るための職人が別に必要になってくるので、工事のための日数や費用が増えてしまいます。

すき間は野面積みより少なくなったとはいえ、まだ間詰石をあいだに埋める必要があります。

切り込みハギ

切り込みハギー金沢城切り込みハギー金沢城(石川県)

正確に四角く削って整形した石を使用する新しい積み方。

石同士にすき間はないのでよじ登ることはできません。なので、切り込みハギでは間詰石は使いません。

金沢城では石の色にもこだわっていたようで、モザイクアートのようで美しくなります。

切り込みハギが最も石を加工するため、工事日数と費用が一番かかります。

新しい積み方だからといって野面積みより優れているかというとそうではなく、切り込みハギでは石(築石、積石)同士が密着しているため、地震があったときに石同士がぶつかり合い、割れてしまうことがあります。

野面積みの場合には石(築石、積石)は割れずに、その間にある間詰石が割れることで被害をおさえています。

乱積み

乱積みー彦根城天守台乱積みー彦根城天守台

築石の目地を揃えることなく、さまざまな大きさ・形の石を積んでいく積み方を「乱積み」といいます。

石の大きさ・形を揃えないので、乱積みで強固な石垣を築くには高度な技術を要した。

布積み

布積みー名古屋城天守台布積みー名古屋城天守台

石の大きさをできるだけ揃えて、目地を横方向に通している積み方を「布積み」といいます。

石の大きさ・形を揃える必要があるので、「打ち込みハギ」「切り込みハギ」との組み合わせが多い。

算木(さんぎ)積み 算木積みで石垣の年代がわかる?

 

算木積みー大阪城天守台算木積みー大阪城天守台

「算木積み」とは、石垣の隅部を長方体の石を長辺と短辺を互い違いに積み上げていきます。

石垣の隅部は特に崩れやすく、特に念入りに強く築く必要がありました。

この解決策として算木積みが考えられ、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて算木積みの技術は発達していきました。

このことから、算木積みの完成度合いをみることで、石垣が築かれただいたいの年代を推測することができます。

算木積みー安土城算木積みー安土城

算木積みの石垣がみられるようになったのは、安土城から。安土城では初めて本格的な高石垣が築かれたので、算木積みも試行錯誤の段階でした。

算木積みー田丸城算木積みー田丸城(三重県)

田丸城は信長の次男・信雄が築いたお城。

算木積みをみると、安土城より石同士の組み合わせ方がしっかりしてきているのがわかります。

算木積みー名古屋城算木積みー名古屋城

名古屋城は江戸時代初期の1610年頃から築かれ始めました。この頃には石垣の技術も熟成してきていて、名古屋城熊本城など高石垣の名城がたくさん築かれました。

算木積みは、キレイに加工された石を使って交互に組み合わせてあり、石垣の上部から下部まで角のラインがキレイに通っているのがわかります。

こんどお城を見学するときには、石垣の隅を見てください。算木積みがどの程度の完成度なのかで、そのお城または石垣がいつ築かれたかの目安になります。

まとめ

  • 石垣は鉄砲を最大限利用するために必要だった
  • 石垣と天主で、信長を頂点とする権力構造の演出をしていた
  • 上記2つの理由から信長は石垣を重視し、技術を発展させていった
  • 石垣の隅、算木積みを見ることで、石垣が築かれたおおよその年代がわかる

参考資料