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お城めぐりを楽しむための【丸岡城の天守】を3つのポイントで解説!

解説!丸岡城の天守
お城好きな武将
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丸岡城の天守にはどんな特徴があるの?

丸岡城天守の歴史や見どころ・ポイントを知りたいな!

今回は「丸岡城の天守」の疑問に答えていきます。

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ゆうき
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この記事では3つのポイントにまとめて丸岡城天守を解説していきます。

丸岡城天守の3つのポイント
  • 現存最古の天守と言われていた丸岡城天守
  • 古式な望楼型天守という外観の丸岡城天守
  • 寒さに対応するために用いられた丸岡城天守の石瓦

それでは丸岡城天守を解説していきます。

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Contents

丸岡城とはどんなお城なの?

丸岡城丸岡城

福井県坂井市にある丸岡城。

丸岡城は戦国時代1576年に柴田勝家の甥・勝豊が築城したことが始まりです。

霞がお城を隠して守ったという伝説から、「霞ヶ城」とも呼ばれていました。

現在の丸岡城は明治以降の都市化によって堀や曲輪・石垣などが失われ、丘の上の本丸のみが残されています。

また現存12天守の1つがあり、天守は重要文化財に指定。

お城跡は日本庭園形式の霞ヶ城公園になっていて、日本さくら名所100選に選ばれるほど桜の名所としても有名です。

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ポイント1:現存最古の天守と言われていた丸岡城天守

丸岡城天守丸岡城天守

丸岡城天守は最近まで現存最古の天守と言われてきました。しかし近年に科学的手法を用いた調査によって現存最古の天守が覆っています。

今まで現存最古の天守だということを直接的に証明する文献史料などがあったわけではなく、外観や石垣などの特徴から最古だろうとしてきたのが実情。

そんな中、丸岡城天守の国宝化に向けて、創建年代を絞り、改変や修理の経緯を明らかにする調査が進められてきました。

調査は「放射性炭素年代測定法」「年輪年代測定法」「酸素同位体比測定」の3つの科学的手法で行われています。

これらの科学的手法を用いて丸岡城天守の柱や扉などの木材がいつ頃伐採されたものかを推定しました。

その結果、丸岡城天守は1620年代後半以降に伐採された木材が使用されていることが判明。

坂井市は「寛永年間(1624〜43)、本多成重が城主だった時期に天守が建てられた」と考えられる、としています。

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ポイント2:古式な望楼型天守という外観の丸岡城天守

丸岡城天守の外観丸岡城天守の外観

丸岡城天守は大きな入母屋造りの建物(一階部分)に望楼(2・3階部分)が載った望楼型天守という形をしています。

望楼型天守は天守の中では古い形式で、天守の始まりと言われる織田信長の安土城天主も望楼型天守でした。

同じ望楼型天守に犬山城天守があり、丸岡城天守と形が似ています。

けれども犬山城天守は望楼部分が後から増築されたモノなのに対して、丸岡城天守は柱の構造などから最初から望楼型天守として設計されていたことがわかっています。

丸岡城天守の外観で注目ポイントの1つに「腰庇(こしびさし)」というものがあります。

丸岡城天守は土台の天守台石垣より一回り小さく建てられているので、石垣と天守との間にすき間が空いてしまいます。

このすき間から雨が入ると石垣が崩れる原因になるので、腰庇を用いて雨が入らないようにしていました。

なぜ石垣より天守が一回り小さく建てられたのかというと、石垣を築く技術が未熟だったために石垣の端ギリギリまで天守を建ててしまうと、石垣が天守の重さを支えきれない恐れがあったためです。

さきほど犬山城天守と丸岡城天守が似ていると言いましたが、天守最上階に「廻縁(まわりえん・ベランダ)」が付けられているのも同じです。

しかし丸岡城天守の廻縁は飾りとして付けられているだけで、犬山城天守のように外に出れるわけではありません。

近年、昭和15〜17年に行われた天守の修理工事を撮影した写真が160枚ほど見つかっています。

この中で廻縁が最初からあったものではなく後から取り付けられたモノで、当初は腰屋根だったと判明。

現在は廻縁に隠れて見えないけれど、写真には腰屋根が付けられていたこん跡が映っていました。

また江戸時代の丸岡城の絵図(越前国丸岡城之絵図)では、天守には廻縁ではなく腰屋根が描かれていることからも、当初は廻縁ではなく腰屋根だったと言えます。

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ポイント3:寒さに対応するために用いられた石瓦

丸岡城天守の石瓦丸岡城天守の石瓦

丸岡城のある福井県は雪が多いことでも有名です。

寒冷地だとふつうの瓦では寒さでヒビが入って割れてしまうので使うことができません。

そのためお城では銅瓦、鉛瓦、赤瓦などが用いられてきました。

丸岡城では近くの足羽山で採れる笏谷石(しゃくだにいし)を使った石瓦が用いられています。石瓦は特に寒さに強いという特徴がありました。

石瓦は丸岡城天守の特徴の1つなのですが、建設当初は石瓦ではなく「柿葺き(こけらぶき)」だったことが判明しています。

柿葺きは長さ20〜30cm、幅10cm、厚さ5mmの薄い木の板を重ねて屋根にする方法。板同士のすき間があって通気性が保たれるので木材の耐久性をあげることができました。

お城では御殿の屋根に杮葺きが用いられることはあるけど、耐火性が求められる天守では珍しいことです。

丸岡城天守は1階中央の太い柱の列が集中して荷重を支えている構造をしています。

これらの柱は1688年に太い柱と交換されたり、新しく追加されていることがわかっていました。

この時期に杮葺きから石瓦に変更されたことで、「増えた重量に対応するために柱にも変更が加えられた」と考えることもできます。

ちなみに軽い杮葺きから石瓦に変わったことで、屋根の重量が5〜6倍に、柱や梁にかかる荷重が1.5〜2倍になりました。

丸岡城天守を見学しに行こう!

今回は「丸岡城の天守」を解説しました。

もう一度内容をまとめておきます。

  • 科学的手法での調査の結果、現存最古説は覆った
  • 丸岡城天守は1624〜43年に本多成重によって建てられたと考えられる
  • 古式な望楼型天守という形
  • 廻縁は付いているけど飾りで外に出ることはできない
  • 当初は廻縁ではなく腰屋根がつけられていた
  • 雨で石垣が崩れないように、「腰庇」がつけられている
  • 寒さで瓦が割れないように「石瓦」を用いている
  • 当初は石瓦ではなく「杮葺き」の屋根だった

丸岡城を見学するときは、この記事を参考に天守に注目してください。

この記事がわかりやすかったら、シェアしてくれるとうれしいです。

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