姫路城の天守にはどんな特徴があるの?
姫路城天守の歴史や見どころ・ポイントを知りたいな!
今回は「姫路城の天守」の疑問に答えていきます。
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この記事では姫路城の天守を3つのポイントにまとめて解説していきます。
- 奇跡的に戦火を免れた姫路城天守
- 姫路城天守の防御の工夫
- 見る角度によって表情が変わる姫路城天守群
それでは解説していきます。
Contents
姫路城とはどんなお城?
姫路城は天守をはじめ日本で最も建物が残っているお城。
天守が国宝になっているほか櫓・門・塀など計74棟が重要文化財に、お城跡が特別史跡になっていて、奈良の法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録されています。
戦国時代には豊臣秀吉の軍師で有名な黒田官兵衛が城主を務めていて、のちに織田信長の配下として秀吉が姫路城を拠点に中国地方の大名・毛利氏を攻めていきました。
1600年の関ヶ原の戦いの後、徳川家康の娘婿にあたる池田輝政が城主に。
輝政は1601年から8年間かけて姫路城を大改修。天守群など現在の姫路城のほとんどを完成させました。
家康は輝政と姫路城に西日本の外様大名の監視・抑えとしての役割を期待していたので、姫路城は日本有数の大城郭になっています。
ポイント1:奇跡的に戦火を免れた姫路城天守
太平洋戦争では広島、岡山、名古屋城の天守など現存していた天守の多くが被害にあって失われてしまいました。
姫路城は昭和に入るとお城跡が国の史跡になり、大天守など8棟や渡櫓・門・塀など74棟が旧国宝に指定されています。
1934・35年の豪雨によって西の丸の石垣が崩落、35年から修復工事が進められていました。
しかし太平洋戦争の戦況悪化によって工事は中断されています。
1945年(昭和20年)になると日本各地の都市が空襲にあうようになり、姫路市も軍需工場があり標的に。
姫路市は2度の空襲にあって、45年7月3日の空襲では総戸数の40%が焼失しています。
姫路城は一部の建物に被害があり、天守にも焼夷弾が直撃。
奇跡的にも焼夷弾が不発だったために、天守群は燃えることはありませんでした。
ポイント2:姫路城天守の防御の工夫
姫路城天守の防御の工夫として、下の2つを取り上げます。
- 天守へ入るまでの複雑なルート
- 天守内部の防御のからくり
天守へ入るまでの複雑なルート
姫路城の正門にあたる「菱の門」から天守までは直線距離にして約1.7kmほど。しかし天守へたどり着くまでのルートは複雑に折れ曲がっていて多くの門が行く手を塞いでいた。
菱の門から天守へ至るルートは2つあって、現在の見学ルートと天守や備前丸(本丸)の南側を回り込んでいくルート。
現在の見学ルートは江戸時代には正規なルートではなく裏ルートでした。
備前丸(本丸)の南側を回り込んでいくルートが正規なルートととして江戸時代に使われています。
江戸時代のルートには姫路城でも最大規模の門「ぬの門」があり、この門は現存する城門では唯一の3階建ての櫓門。
ぬの門周辺は高い石垣と3階建ての櫓門に囲まれていて、この門を突破するためには前後左右から集中攻撃を受けなければいけませんでした。
だんだんと天守群に近づくにつれて天守からの鉄砲攻撃が届くようになってきます。
たとえぬの門を抜けたとしてもまだ4つの門と櫓を突破しなくてはならないし、その間ずっと天守からの攻撃に耐えなくてはいけませんでした。
天守内部の防御のからくり
姫路城大天守にはさまざまな防御の工夫がほどこされています。
- 出格子窓(石落とし)
- 石打ち棚
- 高窓
- 武者隠し
- 流し台、トイレ(雪隠)
1つ目の「出格子窓」は大天守正面の2階部分についている格子窓のこと。
この格子窓は装飾用のようで実は石落としになっていて、天守直下に迫ってきた敵を攻撃することができました。
2つ目の「石打ち棚」は大天守3・4階にある棚のこと。兵士は石打ち棚の上に登って、鉄砲で狭間から攻撃していました。
なぜ石打ち棚に登る必要があるのかというと、3・4階になると下の屋根が邪魔をして敵を狙いづらくなるから。屋根が邪魔にならずに天守直下を狙いやすくするために、狭間を高い位置に空けて石打ち棚を設けていました。
3つ目の「高窓」はその名前の通り高い位置に開けられた窓のこと。
大天守内には鉄砲を掛けておく武具掛けが約600あります。姫路城が築かれた頃は鉄砲(火縄銃)が主力兵器になっていました。
これほどの数の鉄砲を天守内で連射すると、煙だらけになってしまいます。これを解消するために排煙用の窓を高い位置に開けていました。
4つ目の「「武者隠し」の中は小部屋になっていて、その名前のとおりに中に兵士が隠れることができます。
天守内に侵入した敵を武者隠しで隠れていた兵士が不意打ちで攻撃する仕掛けになっていました。
5つ目の「流し台、トイレ(雪隠せっちん)」はお城に立てこもる籠城戦に備えたもの。
流し台は食事を作るためのものだし、トイレは用を足すため。たとえ天守群だけでも戦えるよう準備していました。
天守だけになってしまっては勝ち目はないかもしれません。しかし数日間は持ち堪えることはできたでしょう。数日間だけでも敵を引きつけておくことができれば戦局に大きな影響を与えることができました。
スポンサーリンク見る角度によって表情が変わる姫路城天守群
大天守の外観の特徴として、2階に大きな出格子窓があり、屋根には唐破風・比翼千鳥破風・千鳥破風・入母屋破風があります。これらを巧みに配置することで、外観に変化を持たせて美しくしています。
さらに姫路城天守の大きな特徴の1つが、3つの小天守を渡櫓でつないだ連立式天守という形。
大天守と小天守の位置関係やそれぞれに付けられた破風などの装飾が組み合わさって、角度によって違った天守の表情を見ることができます。
好きな天守の角度を探してお城跡を歩いてみるのも楽しいですよ。
姫路城天守を見学しに行こう!
今回は「姫路城の天守」を解説しました。
もう一度内容をまとめておきます。
- 太平洋戦争で空襲の被害もあったけど、天守は奇跡的に助かった
- 天守へのルートは複数あるけど、どれも複雑で多くの門を突破しなくてはいけない
- 天守内部には出格子窓、石打ち棚など多くの防御の工夫がされていて、天守だけでも戦えるようになっていた
- 天守に飾られた破風・出格子窓や小天守・渡櫓との位置関係によって違った天守の表情を見ることができる
姫路城を見学するときは、この記事を参考に天守に注目してください。
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