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埼玉県の国史跡【比企城館跡群】がお城の博物館と言われるワケ

お城の博物館比企城館跡群
お城好きな武将
お城好きな武将

埼玉県で国の指定史跡になっている「比企城館跡群」とはどんなお城なの?

なぜ比企城館跡群はお城の博物館とよばれるようになったのかも知りたいな!

今回は「比企(ひき)城館跡群」を紹介します。

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この記事では下記のポイントで比企城館跡群を紹介していきます。

比企城館跡群のおもなポイント
  • 大小さまざまで技巧的で発達したお城が集まる比企地方
  • 戦国時代初期から終盤まで戦乱が絶えなかった比企地方
  • 国の指定史跡になっている菅谷館、武蔵松山城、杉山城、小倉城

それでは「比企城館跡群」を紹介していきます。

お城の博物館と言われる、国の指定史跡「比企城館跡群」とは、どんなお城?

比企城館跡群のお城比企城館跡群のお城

「比企(ひき)城館跡群」とは埼玉県のほぼ中央、比企地方に集まるお城跡のこと。

比企地方には確認されているだけで69もの城館跡があります。

これらのうち、お城の規模、築城技術の高さ、良好な保存状態などから「菅谷館」「武蔵松山城」「杉山城」「小倉(おぐら)城」が「比企城館跡群」として国の指定史跡になり、保存整備が進められることになりました。

比企地方の城館跡は、北武蔵(現在の埼玉県)での戦国時代の様子を伝える史跡として歴史的重要性が評価されています。

また比企地方は大小さまざまな技巧的で発達した縄張(お城の防御の工夫)を持つお城が集まることから「お城の博物館」と呼ばれ、お城研究でも重要な地域です。

埼玉県の比企地方とはどんな所?

比企地方の場所比企地方の場所

比企地方は埼玉県のほぼ中央に位置していて、東松山市、比企郡滑川町、嵐山町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町にまたがる地域。

秩父山地から関東平野に突き出るように比企丘陵があり、東側は位置の側や越辺川が形成した沖積地が広がる地域です。

鎌倉時代には御家人(武士)の比企一族が周辺地域を支配していました。

また鎌倉〜戦国時代には、鎌倉と上野国(群馬県)を結んでいた鎌倉街道が通る交通の重要ポイントで、また河川を利用した物流でも重要な地域でした。

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なぜ比企地方はお城の博物館になったのか?

合戦合戦

なぜ「お城の博物館」と呼ばれるようになったのか!?

理由の一つに、この地域が「戦国時代の最初期から終盤まで数多くの合戦の舞台となっていた」ことが挙げられます。

戦国以前には室町幕府6代将軍の足利義教と鎌倉公方・足利持氏の対立(永享の乱)があり、戦国初期には鎌倉公方を支える立場にあった山内上杉家と扇谷上杉家の争いがありました。

その後も、小田原北条氏による武蔵侵攻と武田信玄・上杉謙信との抗争、豊臣秀吉による北条氏小田原城攻めなどがあります。

戦国時代を通して争いの場となり、敵対している大名同士の勢力争いや合戦の状況によって、拠点となるお城、つなぎのお城、陣城など目的におうじて大小さまざまなお城が築かれました。

いくつもの合戦や争いを通じて築城技術が磨かれることで、比企地方のお城はどんどん発達したものとなり、「お城の博物館」と呼ばるようになりました。

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比企城館跡群のお城4つ

ここでは比企城館跡群として国の指定史跡になっているお城「菅谷館・武蔵松山城・杉山城・小倉城」を紹介します。

菅谷館

菅谷館ー本郭の土塁と空堀菅谷館ー本郭の土塁と空堀

菅谷館は鎌倉街道上にあり、都幾(とき)川と槻(つき)川の合流点の台地上に築かれたお城です。

のちの時代の開発による破壊がほとんどなく、菅谷館には堀や土塁などが良好な状態で残されています。

菅谷館では川に面した本郭から北へニノ郭、三ノ郭、西ノ郭と置かれていて、曲輪同士は空堀で区切られ、土塁が曲輪の周囲を囲んでいます。

本郭の空堀は幅8〜9m、深さ6〜7mで、土塁の高さは3〜4mという大きさ。

比企地方でも特に大きな城域を持っていて、大勢の兵士が滞在できる基地だったと考えられています。

菅谷館の歴史

ニノ郭に建つ畠山重忠像ニノ郭に建つ畠山重忠像

もともと菅谷館は平安〜鎌倉時代にかけて活躍した御家人・畠山重忠の居館だったと伝えられています。

畠山重忠は実力者だったために、幕府執権の北条氏に罠にはめられ「謀反人」として討伐されてしまいました。

重忠の像はニノ郭に建てられています。

戦国時代になると山内上杉氏の家臣・太田資康が館跡を菅谷城(須賀谷城)として改修し、のちに小田原北条氏がさらに整備拡張したとも言われています。

菅谷館へのアクセス

  • 住所:埼玉県比企郡嵐山町菅谷757(埼玉県立嵐山史跡の博物館)
  • 電車での行き方:東武東上線「武蔵嵐山駅」下車で徒歩15分
  • クルマでの行き方:関越自動車道「武蔵松山IC」より国道245号線を小川方面へ約10分

武蔵松山城

武蔵松山城は戦国時代に、山内上杉・扇谷上杉氏と北条氏、上杉謙信・武田信玄・北条氏康など関東を代表する武将が争い、豊臣秀吉の天下統一でも合戦の舞台となったお城。

武蔵松山城の土塁や空堀などの遺構は400年たった今でも良好な状態で残されています。

城の西側を流れる市野川を水堀として利用し高低差を活かした平山城。

山頂部に本曲輪があり、東側のニノ曲輪との間には幅15〜20m、深さ10mの巨大な空堀があります。

武蔵松山城はこの空堀をはじめ土塁や堀切などを効果的に造ることで、複雑で堅固なお城になっていました。

またお城の面積のうち堀が占める割合が大きいのも特徴の一つで、空堀による防御を重要視していたことが分かります。

武蔵松山城の歴史

武蔵松山城は比企地方の拠点となるお城で、文献資料にも多く登場しています。

関東地方を支配する立場にあった古河公方・足利氏、足利氏を補佐する立場の2つの上杉氏(扇谷上杉氏と山内上杉氏)の3つの勢力の争いの中で築城されたと考えられています。

この地域の拠点だったので合戦の舞台になることが多かったことは先ほど言った通り。

武田信玄がこのお城を攻めたときに、「金山衆」という鉱山の穴掘り衆を使って地下から侵入しようとした「もぐら戦法」の伝承があります。

この伝承が事実かどうかは分からないけど、このような伝承が残されるほど武蔵松山城の防御が優れていたということではないでしょうか。

堅固な武蔵松山城でしたが、豊臣秀吉の天下統一、小田原北条氏攻めの際に前田利家・上杉景勝の部隊に攻められて開城しています。

武蔵松山城へのアクセス

杉山城

杉山城の縄張杉山城の縄張

杉山城は関東地方で最も発達した縄張(防御の工夫)を持つ山城で、「山城の教科書」と言われるお城。

杉山城は鎌倉街道を監視できる山の上に築かれ、本郭を中心に北・東・南に延びる尾根に階段状に曲輪を配置しています。

各曲輪は横堀が囲み、出入口には側面から攻撃できる(横矢)の工夫が施してありました。

杉山城は発達した縄張を持つことから、戦国後期・北条氏による築城だと考えられてきました。しかし発掘調査によって北条氏の年代の遺物は出土せず、それ以前の年代の遺物しか発見されませんでした。このことから当初考えられていた築城時期よりも50年近く古い時代のお城だと考えられています。

杉山城は高度な築城技術で造られ、戦国初期〜中期の政治・軍事情勢を伝えるお城として高く評価されています。

歴史や築城経緯には未だ謎が多いものの、杉山城は「山城の教科書」と言われるように山城での防御の工夫が初心者でも分かりやすいお城です。

杉山城へのアクセス

  • 電車・バスでの行き方:東武東上線「小川町駅」から路線バス小川パークヒル線「小川パークヒル」バス停から約1.5km (約20分)
  • クルマでの行き方:関越自動車道「嵐山小川IC」から 約2.6km (約5分)
  • 駐車場:玉ノ岡中学校北側駐車場をご利用ください
  • 詳しくはこちら「アクセス|国指定史跡・杉山城跡公式HP

小倉城(おぐらじょう)

小倉城平面図小倉城平面図

小倉(おぐら)城は蛇行する槻川に向かって突き出た標高136mの山に築かれたお城。

このお城は関東の戦国山城では珍しく石垣が積まれていて、残されている石垣は総延長150m以上、最大高さ5mという規模になります。

小倉城は河川交通と鎌倉街道の陸上交通という幹線ルートを意識した場所にあり、菅谷館・武蔵松山城を目視できる位置に築かれました。

小倉城は周囲をより高い山々に囲まれていて、お城を作るには不利な場所に築かれています。しかしながら、不利な場所に造ってでも、菅谷館や武蔵松山城、都幾川流域への視界を確保したいという考えがありました。

また同時代の文献資料に小倉城が確認されていないので、小倉城の歴史はハッキリした事は分かっていません。

それでも発掘調査によって15世紀末〜16世紀前半の遺物が確認されているので、この時期までは使用されていたと考えられています。

小倉城へのアクセス

  • 東武東上線「武蔵嵐山駅」からときがわ町路線バス せせらぎバスセンター行き(十王堂前経由)「田黒バス停」下車で徒歩20分
  • クルマでの行き方:関越自動車道「嵐山小川IC」より約15分
  • 詳しくはこちら「埼玉県ときがわ町ー国指定史跡 小倉城跡
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比企城館跡群を見学しに行こう!

今回は国の指定史跡「比企城館跡群」を紹介しました。

もう一度ポイントをおさらいしておきます。

  • 大小さまざまで技巧的で発達したお城が集まる比企地方
  • 戦国時代初期から終盤まで戦乱が絶えなかった比企地方
  • 国の指定史跡になっている菅谷館、武蔵松山城、杉山城、小倉城

比企地方には今回紹介した国の史跡になっている4つのお城以外にも、優れたお城が数多く残されています。

戦国初期から終盤までの歴史を踏まえながら、これら比企地方のお城を巡るのも面白いです。

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