宇和島城の天守にはどんな特徴があるの?
宇和島城天守の歴史や見どころ・ポイントを知りたいな!
今回は「宇和島城の天守」の疑問に答えていきます。
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この記事では「宇和島城の天守」を3つのポイントにまとめて紹介していきます。
- 元通りに修復すると言っていたのに形も外観も違う伊達家の天守
- 平和な時代の天守と言われるけど戦闘の工夫も欠かさなかった宇和島城天守
- 計算された美しさ!左右対称で均整のとれた宇和島城天守
それでは宇和島城の天守を解説していきます。
Contents
宇和島城とはどんなお城?
愛媛県宇和島市にある宇和島城。
標高74mの丘の上に築かれた宇和島城は、現在は市街地に囲まれているけど江戸時代までは海に接した海城でした。
宇和島城の始まりは平安時代までさかのぼり、941年の藤原純友の乱が起きたときに砦が建てられたとされています。
戦国時代には西園寺氏のお城になっていて、九州の戦国大名大友氏の攻撃を斥けたりもしています。(当時は丸串板島城と呼ばれていました)
現在につながる宇和島城に改修したのが、築城名人と言われる藤堂高虎でした。
高虎は宇和島城に石垣や櫓などを整備し、1601年には天守も建てています。
1614年に伊達政宗の長男・秀宗が10万石で城主になると、明治時代まで9代にわたって伊達家が宇和島を治めていました。
現存する天守は2代目藩主・伊達宗利が建てたもの。
戦後まで伊達家が私有地として城跡を保有していたこともあり、丘の上の城跡はよく残っています。
ポイント1:元通りに修復すると言っていたのに形も外観も違う伊達家の天守
現存する天守は2代目で、1666年に伊達宗利が完成させたものです。
宇和島城に初めて天守が建てられたのは1601年に藤堂高虎によって。
高虎は天守を建てたときに新しい木材ではなくいろんな所から集めてきた古い木材を使用して、つぎ合わせながら天守を建てていました。
そのため高虎の天守は老朽化が早く進み、築60年たらずで土台や屋根、柱、梁が腐っていたといいます。
そこで伊達宗利は1662年に「元通りに修復して建て直したい」と幕府へ届け出を出して、再建の許可をもらいました。
しかし新しく建てられた天守は「1階の広さ」「三重三階」ということが同じなだけで、形も外観もまったく異なる天守。
宗利は幕府へ修復と届け出ていたけど、実際に建てられたのは伊達家の新築の天守でした。
ポイント2:平和な時代の天守と言われるけど戦闘の工夫も欠かさなかった宇和島城天守
宇和島城天守の内部は御殿・寺院建築の特徴があり、そのため平和な時代の天守と言われます。しかし戦闘の工夫も施されてもいました。
天守1・2階の身舎(もや、天守内の中央の部屋)には障子戸が使われていて、もともと畳も敷かれていました。現在の天守内にある障子戸は江戸時代から残るものです。
階段の手すり・欄干にはお寺の建築のような細工が施されていたり、天守3階には「猿頬天井」といって角材の角を面取りした竿縁を使った天井が張られています。
江戸時代の天守は戦闘や建てること自体に意味があったので、宇和島城天守のように居住性を意識した天守は珍しいものでした。
そのために宇和島城天守は平和な時代の天守とよく言われます。
しかし戦闘の工夫がまったく無かった訳ではありません。
天守1階は天井まで4.7mあり、かなり高くなっています。2階の床を高い位置に上げたことで結果として1階の天井が高くなりました。
なぜ2階の床を上げたのかというと、床を上げることで1階の屋根に邪魔されずに火縄銃を撃てるようになり、窓の高さもちょうど撃ちやすい位置にすることができたからです。
また窓の格子は五角形になっていて、これは銃を構えたときに左右を広く狙えるようにするための工夫でした。
窓の下には火縄銃を掛けておくための銃架が2丁分あります。
3階には発砲したときに出る煙を効率よく排気するための小窓が高い位置に設けられました。
宇和島城天守には狭間はないけど、戦闘の工夫を考えていなかった訳ではありませんでした。
ポイント3;計算された美しさ!左右対称で均整のとれた宇和島城天守
宇和島城天守は均整のとれた外観をしています。
天守1階の広さは6間(6m、1間=約2m)四方で、2階が5間四方、3階が4間四方になっていて、上の階にいくにつれて1間ずつ規則正しく小さくなっています。
各階とも完全な正方形になっていることもあり、天守は整った外観に。
天守を正面(西面)から見ると、一重目の屋根に千鳥破風を2つ並べた「比翼千鳥破風」、二重目には大きめの「千鳥破風」を1つ、三重目には「軒唐破風」をつけています。
これは天守の背面(東面)も同じ。
天守の左右(南北面)では一重目に「千鳥破風」を、二重目に「据唐破風」をつけています。
三重三階、高さ15.7mと小さめな宇和島城天守だけど、多くの破風をつけることで装飾していました。
規則的に小さくなっていく天守に、左右対称に配置された破風や窓が合わさって均整のとれた外観に仕上がっています。
宇和島城の天守を見学しに行こう!
今回は「宇和島城の天守」を紹介しました。
もう一度内容をおさらいしておきます。
- 伊達宗利によって再建された伊達家の天守
- 元通りにと言ってたけど新築だった
- 障子や畳など居住性も考えられてた
- 火縄銃を使いやすいように2階の床の位置を調整していた
- 1階から3階へ規則的に小さくなって整った外観になっている
- 破風や窓が左右対称に配置されている
宇和島城を見学するときは、この記事を参考に天守に注目してください。
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