今回はお城の歴史「昭和・平成編」です。
さて、お城の歴史も最終章です。
戦後、全国各地で焼け野原から経済発展していくなかで、街のシンボルとして天守が建てられていきます!
さらに、本来天守を持たないお城に天守を建てたり、まったく関係のない場所にお城(天守)を建てたりということもありました。
また、平成になるとただ天守や櫓、門を鉄筋コンクリートで再建するのではなく、木造で当時の姿に近い再建をしようというお城も出てきました!
- 戦後復興と天守の再建ラッシュ
- 全国に犬山城が出現!?
- 平成の木造復元ブーム
- 中世の山城も復元
Contents
戦後復興と天守の再建ラッシュ
1945年(昭和20年)8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して戦争は終結しました。
その後、日本は1950年代から1970年代にかけて高度経済成長期といわれる戦後復興をしていきます。
焼け野原から街を復興していくなかで街のシンボルとしてお城(とくに天守)を再建することが求められ全国各地で再建されるようになっていきます。
戦後、最初の天守建築は富山市でした。
1954年(昭和29年)、富山市で富山物産博覧会が開催されました。
会場は富山城址公園で、この博覧会に合わせて鉄筋コンクリート造りで天守が建てられました。
博物館として建設されたけど、外観は天守であり、いつしか「富山城」と街の人びとからよばれるようになっていきました。
その後、同じ1954年(昭和29年)に、愛知県豊橋市で吉田城で三重櫓が、大阪府岸和田市でも岸和田城に天守が建てられました。
1955年(昭和30年)以降になると天守の再建はピークを迎えます。
- 名古屋城(愛知県名古屋市)
- 和歌山城(和歌山県和歌山市)
- 広島城(広島県広島市)
- 浜松城(静岡県浜松市)
- 岡崎城(愛知県岡崎市)
- 大垣城(岐阜県大垣市)
- 小倉城(福岡県北九州市)
- 小田原城(神奈川県小田原市)
- 平戸城(長崎県平戸市)
- 松前城(北海道松前町)
- 会津若松城(福島県会津若松市)
天守の再建がピークになり、北海道から九州まで全国的に再建ブームとなりました。
その後も再建は数こそ減ったものの各地で行われていき、天守だけでなく門や櫓などの建物も再建されるようになりました。
- 岡山城(岡山県岡山市)
- 福山城(広島県福山市)
- 唐津城(佐賀県唐津市)
- 千葉城(千葉県千葉市)
- 三戸城(青森県三戸町)
- 横手城(秋田県横手市)
- 仙台城・大手隅櫓(宮城県仙台市)
- 出石城・隅櫓(兵庫県豊岡市)
- 小田原城・常盤木門(神奈川県小田原市)
正確ではない復元天守
天守を再建することは戦争で焼け野原となった街の復興を示すシンボル造りでもありました。
何よりも経済復興が重要視されたため、焼失する前の姿とは異なっており、史実とは異なる点が多々あります。
天守を観光の目玉としたいので、天守最上階での展望性(街がよく見おろせるように)を良くするために史実より窓を大きくしたり、天守最上階に本来はなかった回縁(まわりえん)をつけたりするなど史実とは異なった姿に復元するお城がありました。
”史実とは違う姿形に復元するのはいかがなものか”という意見もあったようですが、お城・天守の再建は焼け野原からの復興を示すシンボルを担う建物でした。
外見の細部が異なっていても、お城があった場所に天守が建っているだけで人びとは満足し、復興へと活気づいていくことができました。
戦争で被害を受けたお城の再建
戦前まで、天守が建っていたお城のある街でも天守を再建しようという動きが活発になってきます。
(戦争で被害を受けたお城・天守についてはこちらを➡︎お城の歴史 大正・昭和前期 お城の再建は戦前から始まっていた!戦争で失われたお城)
最初に再建されたのは原爆の爆風でダメージを受け倒壊した、「広島城」の天守でした。
広島城天守は1958年(昭和33年)に行われた広島大博覧会の目玉として再建されました。
2度と燃えない天守をという市民の希望もあり、鉄筋コンクリート造りの天守となったそうです。
その後、そのほかの戦争で被害を受けたお城・天守が再建されていきます。
広島城の再建と同じ年に和歌山城天守が、1959年(昭和34年)には名古屋城天守も再建されています。
また、名古屋城天守の金のシャチホコは、大阪造幣局に製作を依頼して、ブロンズ製で銀メッキを施した下地に金の板を貼り付けたもので、雌雄2体合わせて約73kgもの金が使われています。
1959年(昭和34年)には大垣城天守(岐阜県大垣市)が、1966年(昭和41年)には岡山城天守と福山城天守(広島県福山市)がいずれも鉄筋コンクリート造りで再建されました。
スポンサーリンク全国に犬山城・天守が出現!?
全国的にお城・天守の再建がブームになっていくなかで、「はじめから天守が建てられていなかったお城」や「天守が建っていたことは間違いないが、どんな姿の天守が建っていたのかわからないお城」でも天守を建てようとすつ街が出てきました。
天守を再建する際に古写真や絵図などの参考となる資料があればいいが、そういった資料がないお城のほうがほとんど。
まったくゼロから新しい天守を設計するのは難しい。では、参考とする資料がないお城では何を参考にしたらよいか?
それは現存している天守です。
現存している天守の中でも姫路城や松本城の天守は大きく、予算や再建するお城の大きさ・面積の関係から参考にするのは難しい。
かといって、備中松山城の天守では小さすぎる。
そこで注目されたのが犬山城天守。
犬山城天守は3重4階で高さは石垣を含めて約24m。ちょうど真似しやすい大きさで、博物館として使うにもぴったりというわけだったんです。
そして、犬山城天守は回縁(まわりえん)を持っていて天守最上階で外へ出ることができます。なので、街を見おろす展望台としても犬山城天守は最適なんですね。
ここでは犬山城天守に似た天守を持つお城として、清須城、長浜城、富山城を挙げました。
もしかしたら、他にも犬山城に似た天守があるかもしれないから、探してみてください。
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昭和が終わり、平成になると再びお城を再建しようとする動きが活発になってました。
平成のお城再建の特徴として、「本物志向」で木造で史実通りに再建するお城が増えてきたことです。
平成になり、最初に木造再建されたのは白河小峰城(福島県白河市)の御三階櫓でした。(1991年(平成3年))
白河小峰城の再建にあたって天守や櫓などの大きな建築物が、鉄筋コンクリートではなく木造でも建築基準法や消防法などをクリアして、建築可能なことを示したことはその他のお城の再建を後押しする結果となりました。
白河小峰城は櫓の再建でしたが最初の天守の木造再建は、1993年(平成5年)の掛川城(静岡県掛川市)が最初になります。
その後、1995年(平成7年)に白石城の大櫓(宮城県白石市)が、2004年(平成16年)には新発田城の御三階櫓(新潟県新発田市)、そして同じ年に木造復元としては最も大きい天守である大洲城天守が再建されています。
平成以降の主な木造復元
五稜郭(北海道函館市) | 函館奉行所庁舎(2010年) |
白石城(宮城県白石市) | 大櫓(1995年)、大手一ノ門・ニノ門(1995年) |
山形城(山形県山形市) | 二の丸東大手門(1991年)、本丸一文字門・大手橋(2013年) |
会津若松城(福島県会津若松市) | 南走長屋・干飯櫓(2001年) |
白河小峰城(福島県白河市) | 御三階櫓(1991年)、前御門(1994年) |
新発田城(新潟県新発田市) | 御三階櫓(2004年)、辰巳櫓(2004年) |
松代城(長野県長野市) | 太鼓門・前橋(2002年)、北不明門(2004年) |
松本城(長野県松本市) | 黒門枡形二の門(1990年)、太鼓門枡形(1999年) |
甲府城(山梨県甲府市) | 鍛治曲輪門(1996年)、稲荷櫓(2004年)、山手門(2007年)、鉄門(2013年) |
掛川城(静岡県掛川市) | 天守(1994年) |
駿府城(静岡県静岡市) | 東御門(1996年)、坤櫓(2014年) |
名古屋城(愛知県名古屋市) | 本丸御殿(2008〜2018年)、天守(計画中) |
金沢城(石川県金沢市) | 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(2001年)、河北門(2010年)、橋爪門(2015年) |
和歌山城(和歌山県和歌山市) | 御橋廊下(2006年) |
篠山城(兵庫県篠山市) | 大書院(2000年) |
広島城(広島県広島市) | 表御門・御門橋(1991年)、平櫓・太鼓櫓・多聞櫓(1994年) |
松江城(島根県松江市) | 二の丸南櫓(2000年)、二の丸中櫓・太鼓櫓(2001年) |
大洲城(愛媛県大洲市) | 天守(2004年) |
松山城(愛媛県松山市) | 本丸内の櫓や門(1968〜1990年)、二の丸多聞櫓・四脚門など(1992年) |
今治城(愛媛県今治市) | 山里櫓(1990年)、鉄御門・東多聞櫓・西多聞櫓(2007年) |
佐賀城(佐賀県佐賀市) | 本丸御殿(2002年) |
熊本城(熊本県熊本市) | 南大手門(2002年)、飯田丸五階櫓(2005年)、本丸御殿(2008年)、馬具櫓(2014年) |
木造での天守の再建は掛川城と大洲城の2件だけですが、門や櫓、御殿の再建が多いのがわかります。
史実にもとづいた復元をした大洲城天守
初の史実にもとづいた復元をした天守は大洲城天守になります。
この大洲城天守は明治維新後の廃城令でも取り壊しを免れていました。その後、老朽化などを理由に1888年(明治21年)に解体されていました。しかし、その間に取られていた古写真がさまざまな角度から撮られていたこと、江戸時代の絵図面が残されていたこと、天守の雛形模型など豊富な資料が他のお城・天守より残されていたことから再建されることになりました。
大洲城天守の再建は江戸時代以来で初めてとなる当時の工法・木造での天守建築となりました。
また、最近では2018年6月に名古屋城・本丸御殿の復元工事が終了し、完成しました。
名古屋城は太平洋戦争で被害を受ける前、本丸御殿を含めて、大天守・古天守や周囲の櫓や門など実地測量した正確な図面と豊富な写真が残されています。
そのため、河村たかし名古屋市長は名古屋城・天守の木造復元計画を進めています。
スポンサーリンク中世の山城も復元
日本にはお城は3万〜4万ほど築かれてきた。
この内、天守や石垣などを持つようなお城は400ほど。その他ほとんどは、戦国時代以前に築かれた土でできたお城・中世城郭です。
数万という数がある中世城郭ですが、復元しようという動きは皆無でした。
なぜなら、中世城郭には姿かたちを伝える資料(文献や絵図など)がほとんど残されていないから。
戦国時代当時の建築物が現存している例はなく、古写真が残っているわけもないのである。
唯一、当時の文献資料(手紙や日記など)にお城の特徴が記されているだけで、そこから推定で復元していくことは困難だった。
そのため、数多く残されている中世城郭ですが、本格的に復元されることはありませんでした。
最初の中世城郭の復元
復元が難しい中世城郭でも建物が再建されるお城がでてきました。
茨城県坂東市にある逆井城です。中世城郭の姿を再現した城址公園となっています。
逆井城で再建された建物は、櫓・井楼櫓・主殿・櫓門・塀など。当時の雰囲気をかもし出しています。
その後、逆井城に続き全国的に中世城郭も再建されるようになってきました。
1992年(平成4年)に東条城(愛知県西尾市)に物見櫓と城門、柵が再建。1993年(平成5年)に足助城(愛知県豊田市)が、1994年(平成6年)に田峯城(愛知県設楽町)、1995年(平成7年)に荒砥城(長野県千曲市)、伊奈城(愛知県豊川市)などが再建されていきました。
2004年(平成16年)には高根城(静岡県浜松市)が再建されました。
高根城は城内の発掘調査によって検出された建物の遺構にもとづいて推定復元されました。
井楼櫓、礎石建物、門が4基、柵が復元されました。
平成以降、中世城郭の復元も盛んに進められています。
中世城郭でも天守のあるようなお城でも資料が乏しいなかでの復元には間違っている点もあるかもしれません。
しかしお城に建物があったほうが、お城初心者や外国人観光客にとってはお城にふれるための入り口としては良いかもしれませんね。