お城のいろいろ

北海道のお城の特徴 アイヌのお城「チャシ」とは?

北海道のお城の特徴

あなたはどちらにお住まいでしょうか?

日本全国には3万〜4万ものお城・砦(とりで)があると言われているので、あなたの住まいの近くにもお城跡があるかもしれませんね。

最近、ブログを書く中で気になっているのが「お城の地域色・地域特性」、いろんな地域によってお城はどう違うのか?、ということ。

例えば、北海道にはどんなお城があるの?沖縄のお城の特徴は?関東と関西のお城では何が違うの?について調べてみました。

そのなかで、今回は「北海道のお城の特徴」について解説していきます。

この記事では↓↓下記↓↓について解説していきます
  • アイヌのお城「チャシ」
  • 本州から逃れてきた和人が築いた館

アイヌのお城「チャシ」

北海道では「チャシ」と呼ばれるアイヌの人々がつくったお城があります。

「チャシ」は約500あり、道南から道東を中心に分布していて、樺太や北方領土にも作られました。

「チャシ」とはアイヌ語で「囲い」を意味します。柵などで囲った場所・防御施設ということですね。

多くの「チャシ」は16世紀〜18世紀(およそ江戸時代)に造られました。

コンブウシムイチャシコンブウシムイチャシ

「チャシ」は自然地形を利用したものが多く、山や丘の高いところの他、ガケ際にも造られています。

そして「チャシ」の周りを堀や土塁で囲ったという構造的には簡単なつくり。

「チャシ」では普段、聖域・祭祀・政治の場所として利用されていました。

「チャシ」を舞台に戦闘も起きています。歴史の授業でも出てきた、「シャクシャインの戦い(Wikipediaへ)」です。

江戸時代、江戸幕府よりアイヌの人びととの交易を唯一許可されていた松前藩(北海道函館市や松前町あたりを支配)が交易レートを松前藩に有利になるように一方的に変更。

交易に応じないアイヌに対しては脅したり、押し買いをしたりしていました。

これに反発したアイヌの人びとが「シャクシャイン」をリーダーにして、松前藩へ反乱を起こた戦いです。

このときシャクシャインは「シベチャリチャシGoogleMapへ)」に籠って戦いました。

シベチャリチャシシベチャリチャシ(北海道日高郡新ひだか町)川と崖を利用して築かれている

本州から逃れてきた和人が築いた館

和人(アイヌ以外の日本人)が北海道へ移住をはじめたのは、鎌倉〜室町時代だといわれています。

1454年(応仁の乱が起きる13年前)に安東政季(あんどうまさすえ)という人が本州での争いに破れて家臣と共に北海道、今の函館市から松前町のあたりへ逃げてきました。

政季は家臣とともに北海道・道南地域の支配をしっかりとしたものにするために12の館を築いていきます。築かれた館は「道南十二館」と呼ばれています。

道南十二館道南十二館

館を築き、着々と勢力を増していった和人。

アイヌの人びとと衝突するのは時間の問題でした。

1457年、「コシャマイン(Wikipediaへ)」をリーダーにアイヌの人びとが和人に対して一斉蜂起。

和人は北海道で全滅の危機に!
このとき、残りは「花沢館」と「茂別館」のわずか2館だけという状況になってしまいます。

この危機を和人は「武田信広(Wikipediaへ)」という武将の活躍でなんとか乗り切りました。

志苔館の構造

さて、この道南十二館はどんな館だったのでしょうか?

館といっても最低限の防御はしてあったみたいです。

志苔館の構造志苔館の構造

館があったと思われる中央の広場を中心に、その周りを堀と土塁で囲っているのがよくわかる

そして、出入り口と思われる左側は堀と土塁を2重にして、守りをより強固にしています。

さらに当時は柵や塀、櫓などを用いて守っていたことでしょう。

志苔館が築かれたのは1460年前後(応仁の乱の10年ほど前)で、当時の本州のお城・館とはさほど違いはないです。

参考資料