お城用語をわかりやすく解説

お城用語をわかりやすく解説 櫓(やぐら)編

お城用語をわかりやすく解説 櫓(やぐら)編

今回は「櫓(やぐら)」について解説していきます。

櫓はもともと、「矢倉」「矢蔵」とも書きました。
(このサイトでは「やぐら」で書いていきます)

やぐらの歴史は古く、天守が戦国時代末期(西暦1576年の安土城築城)の完成にたいして、やぐらは弥生時代(吉野ヶ里遺跡(佐賀県)は西暦200〜300年頃に最盛期だったとされる)までさかのぼります。

吉野ヶ里遺跡のやぐら吉野ヶ里遺跡のやぐら

やぐらは、弥生時代の環濠集落では物見やぐらとして、その後は矢倉・矢蔵と書いたように弓矢をしまっておくための武器庫、矢を射るための攻撃の拠点として機能してきました。(武器庫と攻撃の拠点が同じ場所なので、敵が攻めてきたときにすぐ攻撃することができる)

戦国時代や江戸時代をとおして、やぐらはお城にとって門や堀などと一緒で重要な建物になっていきました。天守のないお城はあっても、やぐらのないお城はありませんでした。

「やぐら」について解説しています

  • 戦国時代以前のやぐらとは?
  • 石垣の完成で大きなやぐらが建てられるようになった!
  • やぐらにはさまざまな役割や名前があった!

では「やぐら」について解説していきます。

戦国時代以前のやぐらとは?

さきほども書いたように、やぐらは弥生時代の環濠集落で物見やぐらとして使われていたことに始まります。

そして、飛鳥時代(西暦592〜710年ころ)には九州・中国地方に古代山城(朝鮮式山城・神籠石(こうごいし)山城)が築かれました。この頃にはやぐらは物見としての機能に加えて、矢を射るための拠点としても利用されるようになりました。

鬼ノ城のやぐら鬼ノ城(岡山県)の復元されたやぐら

その後のやぐらは戦国時代まで、吉野ヶ里遺跡で復元されているやぐらとほとんど同じ構造でした。
(周囲に板をはって、矢を防いでいました)

後三年合戦絵詞に描かれているやぐら後三年合戦絵詞に描かれているやぐら

やぐらのカタチが大きく変わるのは戦国時代に入ってからでした。

石垣の完成で大きなやぐらが建てられるようになった!

戦国時代(西暦1467〜1615年ころ)になると、全国で合戦や争いが増えてきます。

合戦に対応するため、それまでの緊急時に一時的に逃げ込むためのお城から、普段から政治・住居としての機能も持ったお城へと変わっていきました。

そしてやぐらは城壁(土塁や石垣)の上に建つ本格的な建物になっていきます。のちの天守を小型化したようなものでした。
近世城郭(織田信長の安土城以降のお城)にとってやぐらとは、門と並んでお城の重要な建物でほぼ全てのお城でやぐらは建てられていました。

また、戦国時代末期から江戸時代にかけて石垣が完成し、お城のまわりをすべて石垣でかこった総石垣のお城も築かれるようになっていきました。

石垣の端ギリギリまで建物を建てることができ、戦国時代まで1階建の平やぐらだったものが2、3階建の重層のやぐらに変化していきました。

なかでも大きいやぐらが熊本城にある「宇土やぐら」。

宇土やぐら(熊本城、熊本県)宇土やぐら(熊本城、熊本県)

宇土やぐらは3重で地上5階地下1階という大きさでした。宇土やぐらは熊本県宇土市にあった宇土城の天守を移築したと伝わるやぐらでもともとよそのお城の天守だと言われても納得してしまうほど大きなやぐらです。熊本城以外のお城にあれば間違いなく天守になっていたでしょう。

やぐらにはさまざまな種類・役割や名前があった!

単にやぐらと言っても、さまざまな種類や名前がありました。

ここではやぐらの種類と役割・名前をみていきましょう。

3重やぐら

「3重やぐら」は一番大きく、天守を持たなかったお城では天守の代わりにもなれる格式の高いやぐらでした。

天守代用以外で3重やぐらをもっていたお城は少なく、江戸城(東京都)や大阪城(大阪府)など江戸幕府のお城や岡山城(岡山県)・福山城(広島県)・熊本城など西日本の大きなお城に限られます。

江戸城ー富士見やぐら江戸城ー富士見やぐら

なお、3重以上の大きさのやぐらはなく、4重以上のものはすべて天守となっています。

2重やぐら

「2重やぐら」は江戸時代のお城では標準的なやぐらでした。

名古屋城(愛知県)は大きな天守をもっていますが、やぐらに関しては3重やぐらはなく、すべて2重やぐらになっています。

天守ややぐらは大きければ大きいほど頑丈で強いと思われるかもしれません。しかし、やぐらは天守とは違って曲輪のスミに建てられることがほとんどでした。

戦国末期、江戸時代になると日本の合戦でも大砲が使われるようになってきました。そのため、お城の最前線に建つやぐらはマトにならないよう3重やぐらより2重やぐらのほうが好まれるようになりました。

名古屋城でも攻められた場合、やぐらがマトにならないようにすべて2重やぐらにしていました。

また、2重やぐらは3重やぐらに比べて、構造が単純で建てる際の制約が少ないということもありました。

名古屋城の本丸に建つ西南隅櫓

平やぐら

「平やぐら」は1重のやぐらのことを言います。

平やぐらは3重や2重やぐらとは違い、単独のやぐらとして使われるより、天守や3重やぐらの付やぐら(つけやぐら)として使われることが多くありました。

松江城天守と付やぐら松江城天守と付やぐら(島根県)
広島城の平やぐら広島城の平やぐら(広島県)

多門(たもん)やぐら

石垣の上に長く続いている廊下のようなやぐらを「多門(たもん)やぐら」といいます。多門は多聞とも書き、戦国武将「松永久秀」の居城「多聞山城」ではじめて建てられたことに由来しています。

多門やぐらは本丸の周囲や重要な門の周囲に建てられました。

石垣のうえを塀から多門やぐらに変えることでお城の防御はいっそう強固になりました。多門やぐらの土壁と屋根瓦によって火縄銃・大砲・弓矢から城兵を守り、屋内ということで雨に影響されずに火縄銃で敵兵を攻撃することが可能になりました。

多門やぐらの内部多門やぐらの内部
広島城の多門やぐら広島城の多門やぐら(広島県)

名古屋城の多聞やぐらでは総延長1241mもの多門やぐらが築かれ、大阪城では1719mにも及びました。名古屋・大阪城などの大きなお城では幅の広い水堀と多聞やぐらを組み合わせることで鉄壁の防御力を誇っていました。

東日本より西日本はやぐらの数で圧倒していた!

江戸時代になると、西日本のお城を中心に多数のやぐらが築かれました。しかしやぐらの数には東西でかなりの差がありました。

東日本では、江戸幕府の江戸城を別格とすれば、有数の大きさである仙台藩の仙台城(宮城県)ですら「3重やぐら・4棟」、「2重やぐら・2棟」、「平やぐら・1棟」、「多門やぐら・約142m」しかありませんでした。
関東のお城では2重やぐら・2棟しかないお城もありました。

それに対して西日本のお城では幕府のお城以外でも、数十棟ものやぐらが建てられることはめずらしくありませんでした。

たとえば、広島城
広島城では、「2重やぐら・35棟」、「平櫓・30棟」、「多門やぐら・約415m」にも及びました。

 

広島城のやぐら広島城のやぐら

さまざまなやぐらの役割と名前

前項でみてきたように、西日本のお城では数十棟にも及ぶやぐらを建てていました。

これらのやぐらを合戦以外の時にそのままにしておくのはもったいないので、普段は倉庫として使用されていました。そしてそれぞれのやぐらには何を保管しているかによって名前が変わってきました。

・鉄砲やぐら
 その名前のとおり、鉄砲を保管しておくためのやぐら。

・弓やぐら、弓矢やぐら
 弓矢を保管しておくためのやぐら。

・石火矢やぐら、大筒やぐら
 石火矢(いしびや)・大筒(おおづつ)といわれる当時の大砲を保管しておくためのやぐら。

・槍やぐら
 槍を保管しておくためのやぐら。

・玉やぐら、煙硝(えんしょう)やぐら、火縄やぐら
 鉄砲の弾、火薬などを保管しておくためのやぐら

・具足やぐら
 具足(ぐそく)とは甲冑のこと。合戦のときには具足を足軽に貸し与える。

・旗やぐら
 足軽や武将が背中に指していた旗(旗指物)を保管しておくためのやぐら。

・干飯やぐら
 干飯(ほしいい)とは非常食で、蒸したお米を乾燥させたもの。

・塩やぐら
 塩を保管していた。

・米やぐら
 米は重要な物資であるにもかかわらず、米やぐらというものはありませんでした。米は主食でたくさんあったのでやぐらではおさまらず、城内に米蔵を数棟建てていました。

・太鼓やぐら
 太鼓(たいこ)やぐらは必要不可欠なもので、ほとんどのお城にありました。やぐら内部に太鼓が吊るされていて、時報の代わりとして太鼓を鳴らしていました。

掛川城の太鼓やぐら掛川城の太鼓やぐら

・着到やぐら
 合戦の時に、お城へ集まってきた味方の兵士を検分・調べるためのやぐら。

・潮見やぐら
 海を監視するためのやぐら。赤穂城(兵庫県)、福岡城(福岡県)、宇和島城(愛媛県)などにあった。

・台所やぐら
 敵に攻められお城に立て籠もる(籠城)するときに、味方の兵士の食事を作るための台所。

・井戸やぐら
 内部に井戸があるやぐら。

・月見櫓
 その名前のとおり、お月見をするためのやぐら。松本城(長野県)では単体のやぐらではなく、天守と連結しているやぐらになっている。

松本城天守と月見やぐら松本城天守と月見やぐら

・伏見やぐら
 かつての伏見城(京都府)から移築したと言われるやぐら。江戸城大阪城尼崎城(兵庫県)、福山城などにあった。福山城の伏見やぐらはやぐら内の柱にある刻銘から実際に伏見城から移築されたことが確認されています。

・宇土やぐら
 熊本城に現存しているやぐら。かつての宇土城から移築したと伝わる。

・千貫やぐら
 大阪城二の丸に現存するやぐら。織田信長が大阪城の前身である石山本願寺を攻めていた時、やっかいなやぐらがあり、「そのやぐらを落としたものには千貫の褒美を与える」と信長が言ったとされることに由来する名前。

大阪城の千貫やぐら大阪城の千貫やぐら

・化粧やぐら
 姫路城西の丸に現存しているやぐら。千姫(豊臣秀吉の息子・秀頼の妻で、徳川家康の孫)が訪れていたと伝わるやぐらで、やぐらではめずらしく畳がしいてあった。

・清洲やぐら
 名古屋城御深井丸(おふけまる)にあるやぐら。西北隅やぐらともいう。名古屋城築城のときに、清洲城天守を移築したと伝わることから清洲やぐらと呼ばれている。

参考資料