お城のいろいろ

関東のお城の特徴 土塁と堀を使った匠のお城!

関東のお城の特徴

今回は「関東地方のお城の特徴」について解説します。

関東地方は、武田信玄、上杉謙信、北条氏康が争った場所。

この関東地方にはどんなお城の特徴があると思いますか?

調べてみると下記のような関東のお城の特徴がわかりました。

関東のお城の特徴
  • 石垣を持つ近世城郭(織田信長の安土城以降のお城のこと)が少ない
  • 天守を持つ近世城郭も少ない
  • 城郭建築(櫓など)が西日本と比べて貧弱
  • 土塁や空堀・水堀を複雑に巧妙に用いたお城が多い

では、関東のお城の特徴を見ていきましょう。

Contents

関東のお城の特徴 石垣が少ない!?

結論から言うと、関東地方には石垣を持つお城が西日本と比べると少ないです。

大阪城(大阪府)」「熊本城(熊本県)」「名古屋城(愛知県)」のような壮大な石垣を持つような関東のお城は「江戸城(皇居)(東京都)」「小田原城(神奈川県)」にしか見られません。

江戸幕府の本拠地・江戸城ですら、本丸こそ総石垣で作られていますが、その周りの西の丸や現在の吹上御苑には石垣は用いられず土塁でかこわれています。

江戸城ー吹上御苑の土塁江戸城ー吹上御苑の土塁

では、なぜ関東のお城には石垣が少なかったのか!?

それは「関東地方では石垣に最適な硬い岩石が手に入らなかった」から!

石垣に最適な岩石は「花崗岩」「安山岩」と言われ、関東地方では入手困難でした。

江戸城の石垣で用いられた石材の多くは伊豆半島から運ばれてきており、最も遠くて瀬戸内海からも運んできていました。

江戸城は「天下普請」というように全国規模で大名を動員した大工事で完成したお城。徳川家康ー秀忠ー家光と三代にわたって工事を続けました。江戸城はもちろん、小田原城も江戸幕府にとって重要拠点。(小田原城は箱根の近くにあり、関東への入り口を守るお城として重要視されていた)

そのほかの大名にとって伊豆半島から石材を運ぶことは財政的にも厳しい。徳川御三家のひとつ・水戸藩の水戸城(茨城県)でも石垣をあきらめたほどである。

水戸城ー本丸空堀水戸城ー本丸空堀(現在は線路になっている)(Wikipedia「水戸城」より)

そして、関東は江戸幕府のお膝元。徳川家康は関ヶ原の戦いのあとに、やっかいな大名は江戸から遠くへ(東北や中国・九州)移動させました。なので、江戸幕府に敵対的な大名は関東地方にはいません。そのため、江戸・小田原以外ではそれほど強固なお城を築く必要もなかったことも石垣を持つお城が少ないことの理由の一つです。

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関東のお城の特徴 天守も少なかった!?

関東のお城には石垣と同じく、天守を持つお城もわずかでしかありませんでした。

幕末の時点で、残っていた天守は「小田原城天守」のみでした。

そのほかのお城では、三重櫓を天守の代用としてしようしていました。(水戸城高崎城(群馬県)、川越城(埼玉県)、古河城(茨城県)など)

さすがに、江戸城だけは将軍様のお城ということもあって、徳川家康、秀忠、家光と3代にわたって3つの天守が築かれ、そのどれもが歴代最高最大の天守でした。

江戸図屏風に描かれた江戸城・天守江戸図屏風に描かれた江戸城天守(秀忠か、家光のどちらかの天守)

江戸城天守は1657年(明暦3年)の明暦の大火という大火事で焼失し、それ以降は天守台(天守をのせるための石垣)は再築されたが天守は築かれませんでした。(財政難だったとも、天守より江戸の町の復興を優先したとも言われています)

そして、天守以外の櫓(やぐら)などの建築物も関東のお城では少なく貧弱でした。

江戸城を除くの他のお城では、櫓の数は10棟を越えるお城はありませんでした。(広島城では2重櫓35棟、平櫓30棟)

関東地方に天守や櫓が少なかった理由も石垣を築かなかった理由と同じで、
関東地方には徳川幕府に敵対的な大名がおらず、またそれほど大きくない親藩(徳川将軍家の親戚)や譜代大名(関ヶ原の戦い以前より徳川家康に従っていた大名)がほとんどだったため、軍事的緊張もなく天守や櫓を築く必要性が低いと考えられました。

ちなみに、東日本初の石垣と天守を持つお城は1590年(天正18年)の豊臣秀吉が「小田原攻め」の際に築いた石垣山城(神奈川県)でした。

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関東のお城の特徴 土塁や水堀・空堀を複雑に巧妙に用いたお城が多かった!

関東地方のお城は西日本と比べて石垣や天守や櫓などの城郭建築では見劣りするお城が多い。

しかし、土塁と水堀・空堀を巧妙に用いたお城が多いのが特徴です。

杉山城 縄張図杉山城(埼玉県) 縄張図

関東地方は全国で最も早くに戦国時代に突入した地域でした。そのため、他の地域より縄張(お城の設計図や構造のこと)がより発達していきました。

なかでも、北条早雲を祖とする後北条氏が関東地方を平定していく中で、非常に巧みな縄張を発展させていきました。(杉山城鉢形城(埼玉県)、八王子城(東京都)など)

宇都宮城の土塁と水堀宇都宮城の土塁と水堀

また、特別なお城として後北条氏の本拠地・小田原城は戦国時代では最大規模のお城でした。
この小田原城が持っていた総構(そうがまえ、城下町ごとかこんだ土塁や石垣のこと)はその後の大坂城江戸城へと受け継がれていく先進的なものでした。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原攻め」では後北条氏は負けはしたものの、豊臣軍を総構の中には1人たりとも侵入させませんでした。

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参考資料