2019年に築城400周年を迎えた明石城にはどんな歴史があるの?
明石城は誰が築城したのか?戦いがあったのかなど知りたいな!
今回は「明石城の歴史」を紹介します。
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この記事では下記のポイントで明石城の歴史を紹介していきます。
- 幕府の支援で西日本への備えとして築城された明石城
- 明石城と宮本武蔵
- 旧藩士の尽力で保存された坤櫓と巽櫓
- 阪神淡路大震災で被害を受けるも修理された明石城
それでは明石城の歴史を解説していきます。
Contents
明石城とはどんなお城?
兵庫県の明石市にある100名城の明石城。
明石城の築城時期は比較的新しくて江戸時代に入ってから。2019年には築城400周年を迎えました。
明石は昔から交通の要衝で、古くは京都・大坂と西日本を結ぶ山陽道が通り、現在は山陽新幹線や明石海峡大橋があります。
明石公園・西芝生広場から見える、現存する2つの櫓(坤櫓と巽櫓)が並んで建つ姿を1度は現地で観たいお城です。
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ここからは明石城の歴史を築城から〜現在まで順に紹介していきます。
江戸時代の明石城
幕府の支援で西日本への備えとして築城された明石城
明石城が築城されたのは新しく江戸時代に入ってからで、豊臣氏が滅んだ大坂の陣の後になります。
明石周辺はもともと姫路城主・池田氏の領地でした。
しかし1615年の大坂の陣の後、幼少だった当主・池田光政は姫路から鳥取へと移っていきます。その後池田氏の領地は2分割されて、姫路城主には本多忠政が、明石は本多忠政の娘婿の小笠原忠真が領主になりました。
小笠原忠真の祖父は家康長男の徳川信康で、忠真は家康のひ孫にあたる人物。
大坂の陣で、父・小笠原秀政と兄・忠脩(ただなか)が戦死したため、忠真が当主になっていました。
明石の領主になった忠真は最初船上城に入っています。
翌1618年に、忠真は将軍徳川秀忠から新しいお城の築城を命じられ、19年から築城をスタート。
幕府・将軍の命令での築城ということもあって、人材・資金面で充実したバックアップがありました。
幕府は普請奉行(現場監督・責任者)として建部政長らを派遣し、銀1000貫(約30億円)を用意して費用を負担しています。
明石という場所は京都・大坂と中国・四国地方との中継地点で、西日本の外様大名(毛利氏や島津氏など)を警戒し備えるために秀忠は明石城が必要と判断していました。
周辺のお城を再利用して急ピッチで築かれた明石城
1619年正月(1月)に石垣工事からスタートした明石城築城。
明石城築城にともなって忠真が居城にしていた船上城は廃城になり、その他の周辺のお城も武家諸法度の一国一城令で廃城になっています。
この時に廃城になったお城(船上城、三木城、高砂城など)の資材は明石城の工事に再利用されました。
現存する巽櫓(たつみやぐら)は廃城になった船上城の天守を移築したものと伝わっています。また京都の伏見城の櫓が坤櫓(ひつじさるやぐら)として移築されたと伝わります。
築城開始から1年で、小笠原忠真は船上城を出て、明石城へ移りました。
その後も工事は進められ、1620年中に明石城は完成を迎えています。
約2年という短期間で築城された背景には、幕府の厚いバックアップと周辺のお城を再利用があります。
明石城と剣豪・宮本武蔵
明石城の築城に際して、城下町の整備も一緒に行われていました。
明石海峡に面した海岸には港も整備されています。
この時、城下町整備を担当していたのが剣豪・宮本武蔵だったという説もあります。
この頃の宮本武蔵は姫路城主・本多忠刻と交流があり、明石の城下町整備の他にお城や寺院の作庭も行っていたようです。(Wikipedia「宮本武蔵」より)
越前松平氏が治めてきた明石城
小笠原忠真は完成から12年後の1632年に小倉城へ移り、33年に松平康直が城主になっています。
この後50年間で大久保氏、藤井松平氏、本多氏と城主がコロコロ代わり、1682年に家康次男・結城秀康の孫にあたる松平直明(なおあきら)が城主になりました。
これ以降は明治まで松平氏が明石を治めていきます。
明石城では火災にあうこともありました。
1631年には火災があって、本三の丸下屋敷の台所から出火。この火は本丸にまで回ってしまいました。
この火災で本丸の御殿や多門櫓に保管してあった武具や火薬なども焼失しています。
火災の後、本丸御殿は再建されず、本三の丸内で内堀に囲まれた居屋敷を建てて藩主の御殿としていました。(野球場や西芝生広場のあたり)
焼失した本丸では四隅の櫓を建て直して、櫓の間を土塀でつないで再建しています。
明治時代の明石城
旧藩士の尽力で保存された明石城の坤櫓と巽櫓
明治になると廃城令が出されて、全国でお城の建物は取り壊されていきました。
明石城でも建物の払い下げが決まっていたけど、明石城の保存を望む旧藩士たちが櫓の大部分を落札。取り壊す予定だった兵庫県との間で対立することに。
1881年に小学校の建築資材にあてるため、兵庫県は本丸北東の艮櫓などを解体。南東の巽櫓と南西の坤櫓は藩士たちの要望通りに保存されました。
本丸北西の乾櫓は巽櫓と坤櫓とともに保存されていたけど、1901年の修理の時に解体されています。
解体された乾櫓で再利用できる木材や瓦などは巽櫓と坤櫓の修理に使われました。
またこの時に櫓をつないでいた土塀は傷んでいたので解体されています。
皇室の御料地から公園になった明石城
1883年に明石城跡は整備されて私設公園になっていました。
ところが1898年に城跡は皇室の御料地として宮内省の管理になって、公園は廃止されています。
1918年になると兵庫県が宮内省から御料地を借りて、県立公園にしました。
昭和初めになると明石城跡全域の払い下げを受けて、明石公園として整備しています。
昭和・平成の明石城
阪神淡路大震災で被害を受けるも修理された明石城
戦後、現存している巽櫓と坤櫓は1957年にともに国の重要文化財に指定されました。
1982年にはこの2つの櫓の修理が行われ、このときに坤櫓が移築された建物だと判明しています。(坤櫓は伏見城の櫓を移築したものと伝わっています)
1995年兵庫県を中心に大きな被害を出した阪神淡路大震災で、明石城も石垣が崩れたり、櫓が傾き外壁にヒビが入るなどの被害がありました。
巽櫓と坤櫓の石垣修理の際には曳屋(ひきや)工法が用いられ、もとの位置から北側へ櫓をスライドさせて石垣を積み直しました。(青森県の弘前城でも現在、天守を曳屋工法で移動させて石垣修理を行っています)
櫓や石垣の修理は2000年までに完了し、またこの時に巽櫓と坤櫓をつないでいた土塀も復元されています。
また2019年に明石城は築城400周年を迎え、「400年の時を刻む 明石城の魅力再発見~お城とともに歩む明石のこれまでとこれから~」をテーマにさまざまなイベントが催され、約250日間で300万人以上の来場者を記録しています。
(兵庫県/明石城築城400周年記念事業を実施しました)
明石城の歴史年表
1617 | 池田光政が鳥取城へ移り、小笠原忠真が船上城に入る |
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1618 | 徳川秀忠が忠真に明石城築城を命令 |
1619 | 忠真が明石城の築城をスタート |
1620 | 忠真は明石城に移り、船上城は廃城に |
1631 | 本三の丸下屋敷の台所から出火し、本丸御殿などが焼失 |
1632 | 小笠原忠真は小倉城へ移る、この後半年ほど幕府の直轄地に |
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1633 | 松平康直が城主に |
1639 | 大久保忠職が城主に |
1649 | 松平忠国が城主に |
1679 | 本多正利が城主に |
1682 | 松平直明が城主になり、明治まで松平氏が治める |
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1873 | 廃城令により明石城は廃城に |
1874 | 二の丸に県立有文中学校が開校 |
1875 | 明石城の建物が払い下げられる |
1883 | 地元有志が国から借地して、民営明石公園を整備 |
1897 | 三の丸に県立農学校が開校 |
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1898 | 皇室の御料地になり、公園は廃止に |
1918 | 兵庫県が本丸付近を宮内省から借りて、県立明石公園を整備 |
1932 | 兵庫県は城跡のほとんどの払い下げを受け、明石公園を拡張 |
1945 | アメリカ軍の空襲で公園付近に爆弾約60個が投下され、被害を受ける |
1957 | 巽櫓と坤櫓が国の重要文化財に指定される |
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1982 | 巽櫓と坤櫓の補修工事が行われる |
1995 | 阪神淡路大震災で石垣が崩れ、櫓も被害を受ける |
2000 | 震災ののち、櫓・石垣の修復工事が完了。櫓の間の土塀も復元される |
2004 | 明石城跡が国の史跡に指定される |
2019 | 明石城は築城400周年を迎える |
明石城へのアクセス
- 住所:兵庫県明石市明石公園1-27
- 電車での行き方:JR神戸線「明石駅」、山陽電鉄本線「山陽明石駅」より北へ徒歩5分
- クルマでの行き方:第二神明道路「大蔵谷IC」より約10分、「玉津IC」より約15分
- 詳しくはこちら「明石公園【公式】」
明石城を見学しに行こう!
今回は「明石城の歴史」を紹介しました。
もう一度ポイントをおさらいしておきます。
- 幕府の支援で西日本への備えとして築城された明石城
- 明石城と宮本武蔵
- 旧藩士の尽力で保存された坤櫓と巽櫓
- 阪神淡路大震災で被害を受けるも修理された明石城
お城それぞれの歴史を知っているとお城めぐりもより楽しくなるので、気になるお城の歴史を知れべてみるのはいかがですか。
お城の歴史を知って、もっとお城めぐりや歴史ドラマ、ゲームなど楽しんでいきましょう。