今回は「横矢(よこや)」について解説していきます。
横矢とは敵を「側面や背後から攻撃すること」。
みなさんが大阪城などで石垣を見たとき、一直線ではなくて屏風(びょうぶ)のように折れ曲がっていませんでしたか?
石垣や土塁などお城(曲輪)の外周が一直線ではなくて折れ曲がっていることを「横矢」または「横矢がかり」と言います。
城壁が折り曲げられていて敵の側面へ攻撃できることを「横矢がかかる」といいます。
例えば、「このお城は横矢のかかり具合がよい」など。
ふつう、お城を守るときは少人数で効率的に守ることができるようにしたい。
たとえば城壁を一直線にするとお城(曲輪)の端から端までの長さが短くなります。短い城壁を守るばあいは少人数で守ることができます。
しかし、城壁(石垣や土塁)を折り曲げている場合、城壁の長さも長くなってしまいます。そして長くなった城壁を守るために余分に人数が必要になってきます。
少人数で守るほうが効率的なように感じますが、なぜお城の城壁(石垣・土塁)は長さが長くなるという欠点がありながら折り曲げているのでしょうか?
では、「横矢」について見ていきましょう。
- 横矢の機能とは?
- 実際の横矢はどのように使われているの?
Contents
横矢の機能とは??
では横矢について解説していきます。
ほとんどのお城では守るべき城壁が長くなってしまうという欠点があっても、城壁を折り曲げて横矢がかかるようにしていました。
城壁の長さというデメリットよりも敵を側面から攻撃できる横矢のメリットのほうが大きいことから、ほとんどのお城では横矢がかかるように工夫されています。
では横矢のメリットとは具体的にどのようなものでしょうか?
横矢がかかっていない、一直線の城壁の場合
城兵と敵はお互いに正面を向いて戦うという単純なカタチになります。敵は正面の城兵に注意していれば良いので突進してくるかもしれません。こうなると味方と敵との人数の差が勝敗に影響してきます。
(そもそもお城にこもって戦うということは敵にたいして人数で負けているから。お城の外で戦っては人数の差で負けてしまうからです。)
一直線の城壁では味方と敵の人数の差が勝敗に影響してきます。人数が多い敵がやがて城壁を突破してしまうでしょう。
横矢がかかっている、折り曲げられている城壁の場合
では折り曲げられた城壁、横矢がかかっている城壁ではどうでしょうか?
城壁を折り曲げるということは、攻めてくる敵の正面からだけではなく側面や背後からも攻撃が可能になります。
敵の立場からすると、城内からの攻撃は正面だけでなく側面や背後からもくるので360°すべてを警戒していないといけなくなります。こうなると柵や塀を突破して城内に侵入するどころではなく自分の身が危険な状態で戦うことができなくなってしまいます。
このように城壁を折り曲げること、横矢をかけることは、守るべき城壁が長くなってしまうデメリット以上にメリットが大きいものでした。
横矢があると死角がなくなる!?
城壁を折り曲げることで横矢がかかっている状態になり正面だけでなく側面もしくは背後から攻撃することができ、お城を効率的に守れることがわかりました。
横矢には側面から攻撃するだけでなく、お城の死角をなくすというメリットもありました。
上↑の絵のように横矢がかかっていない城壁のスミには死角ができてしまいます。
お城の塀や天守・やぐらに狭間(鉄砲や弓矢で攻撃するために開けた穴)があります。しかし、狭間は小さく広範囲に攻撃できるものではありません。
なので、お城のスミにはどうしても死角ができてしまいます。
そこで、城壁を連続して折り曲げます。そうすることで、お城のスミにできる死角はなくなります。(城壁を連続して折り曲げることを「雁行(がんこう)」といいました)
お城の城壁に効果的に横矢がかかるようにすることで、敵の側面を攻撃することが可能になり、お城の死角をなくすメリットもありました。効果的に横矢がかかるようお城を設計することが、戦国武将の腕の見せ所だったのではないでしょうか。
スポンサーリンク実際の横矢はどう使われているの?
では実際のお城ではどのように横矢が使われていたのか見ていきましょう。
大阪城の横矢
実際の例として大阪城の横矢をみていきましょう。
上↑の写真は大阪城の二の丸南側の石垣です。
石垣を連続して折り曲げる、「雁行(がんこう)」という横矢の方法が使われています。
石垣を一直線にするのではなく、「雁行」という折り曲げることで敵の正面と側面から攻撃することができました。また、石垣のスミの死角がなくなるメリットもありました。
そして、石垣の上にはやぐらを建てることでさらに防御をおぎなっていました。
こちら↑も大阪城の二の丸南側です。
石垣の一部をへこませることでくぼみを作り、そこに侵入した敵を左右2方向から攻撃することができました。
この横矢の方法を「合横矢(あいよこや)」と呼んでいました。
こちら↑は大阪城大手門。
大手門は内枡形(うちますがた)とよばれる出入り口のカタチをしていて、「一の門」・「二の門」という2段構えになっています。
内枡形をもっと知りたい人はこちら➡︎「お城用語をわかりやすく解説 出入り口編」
まず一の門を突破しようと敵兵は近づいてきます。そこへやぐらから一の門へ近づく敵兵を攻撃することができました。
なんとか一の門を突破したとしましょう。しかしそのあとに待っているのはニの門です。
二の門と「多聞(たもん)やぐら(内部は廊下のようになっている、細長いやぐら)」によって囲まれた空間で敵兵は足止めされてしまいます。
逃げ場のない敵兵に二の門と多聞やぐらから攻撃することができました。
大阪城は鉄壁のお城の一つと言っても良いでしょう!
熊本城の横矢
つぎに熊本城を見ていきましょう。
上↑の写真は熊本城の竹の丸五階やぐら跡です。
赤い矢印が本丸へと続く通路です。熊本城では通路を複雑に折り曲げることで、敵兵の侵入スピードをゆるめ、そこを石垣の上、やぐらから敵兵を攻撃することで防御していました。
熊本城は通路を複雑にすることで防御力を高めていましたが、デメリットもありました。
通路を複雑にすることで城内で有効活用できる場所・面積が少なくなることでした。大阪城や名古屋城などでは合戦のあと平和になったときのことを考え、城内に御殿などを建てる広い場所を確保していました。しかし熊本城では、御殿などの普段の生活や政治のための場所より、戦いのときにどれだけ防御力を発揮できるかに重点がおかれていました。
(お城をくらべることで、それぞれのお城の性格がみえてくるので、お城見学も楽しくなります。)
名古屋城の横矢
名古屋城は大阪城や熊本城と比べると、スッキリした直線的な石垣にしています。(詳しく見ていくと、折れ曲がっているところもあります)
本丸は正方形をしていて、横矢がかかっていないようにも感じます。
では名古屋城では石垣を折れ曲げずに、このような形にしたのでしょうか?
名古屋城の防御の秘密は多門やぐらと水堀にありました。
多門やぐらは廊下のように細長いやぐらのことです。
名古屋城では多門やぐらを石垣の上に本丸や二の丸を囲むように建てていました。
多門やぐら内では風や雨に影響されることなく火縄銃での攻撃を繰り返し続けることができることが最大のメリットです。
そして、そこに幅の広い水堀をセットで組み合わせていました。
幅の広い水堀があると敵兵は石垣に近づくことさえ困難だったでしょう。船などを利用して石垣に近づいていっても、格好のマトになってしまうだけでした。
名古屋城は多門やぐらと幅の広い水堀、火縄銃を活用することで、石垣を複雑に折り曲げ横矢をかけることなく防御力を十分に発揮していました。
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