今回はお城のシンボル、「天守の形式と構造」について解説していきます。
天守の形を簡単に分類すると、こんな感じに分かれます。
天守の形式
- 望楼型
- 層塔型
天守の構造
- 独立型
- 複合型
- 連結型
- 連立型
それぞれ種類にどんなお城の天守が当てはまるか見てみまししょう。
Contents
天守の形式
望楼型天守
望楼型天守は初期のタイプの天守の形式。
一番最初の天守(天主)は織田信長の安土城・天主だったんですが、これも望楼型天守だったと言われています。
望楼型天守は2つの建物が合体した天守で、天守下部は「入母屋破風」という屋根の形になっています。
特徴は天守をのせるための石垣がどんなにいびつな形をしていても建てることができることです。
上の絵は岡山城の古絵図なんですが、天守をのせている石垣は多角形のいびつな形をしているのがわかります。
石垣がいびつでも建てられるわけは、天守が上下に分かれているので天守下部がいびつな形でもそこで一度リセットされるので天守上部はキレイな正方形にすることができるのです。
そのため天守全体のバランスが良く、美しい形になっているのですね。
そして、天守をのせている石垣をキレイな正方形にしなくてもよいので土木工事の短縮になります。
望楼型天守には次の天守があります。
- 安土城
- 豊臣大坂城
- 丸岡城
- 松江城
- 高知城
層塔型天守
層塔型天守は関ヶ原の戦いの前後から建てられるようになった新しいタイプの天守。
上の階にいくにつれ規則正しく小さくなっていくのが特徴の一つです。
ただ望楼型と違って、石垣の形がいびつだと天守下部のゆがんだ形がリセットされることがないので、天守上部までゆがんでしまうことです。
そのため天守をのせる石垣はキレイな正方形にしなくてはいけないのです。
史上初の層塔型天守となった今治城・天守は石垣は築かれずに地面に直に置かれた状態でした。
そのかわり、層塔型天守は規則正しく小さくなっていく構造なので、天守下部の寸法が決まったら天守上部の寸法まで決まるのであらかじめ木材を加工しておくことができるので工事期間の短縮になりますね。
層塔型天守には次の天守があります。
- 江戸城
- 徳川大坂城
- 今治城
- 津山城
- 弘前城
- 丸亀城
- 宇和島城
- 伊予松山城
天守の構造
天守の形 独立型
独立型天守は一番シンプルな天守ですね。
天守のまわりに付属する建物がないのが特徴です。
- 丸岡城
- 水戸城
- 高知城
- 宇和島城
天守の形 複合型
複合型天守は天守への出入口をより強固にするために付櫓や小天守をつけたもので、最も多く見られる天守のタイプです。
複合型天守は次のとおり。
- 熊本城
- 福山城
- 犬山城
- 彦根城
- 松江城
- 岡山城
天守の形 連結型
連結型天守は天守と小天守を渡櫓でつないだ天守の構造をしています。
- 名古屋城
- 広島城(小天守は明治時代に取り壊し)
天守の形 連立型
連立型天守は連結型を発展させて2つ以上の小天守と天守を渡櫓でつないだものです。
連立型天守で一番人気は姫路城。
姫路城は三重の小天守3基を二重の渡櫓でつなげた壮大な姿をしています。
連立型天守に囲まれた中庭の部分の面積を拡大すると、一つの曲輪(お城を構成する区画、本丸・二の丸など)になる。名古屋城本丸は本丸全周を渡櫓で囲んでいて本丸全体で連立型天守となっていた。(渡櫓は現存していない)
- 姫路城
- 松山城
- 和歌山城
天守構造の発展
どんなものでも普通は単純なものから複雑なものへ発展してきたと思いがちだけど天守の発展の仕方はちょっと違います。
初期の天守は小天守や付櫓を付属させることで天守出入口の防御施設としていました。最初は複合型天守が主流でした。
関ヶ原の戦い以後、連結式が登場し、さらに連立式へと発展していきました。
天守を最後の抵抗の場所とするため実戦を考えた防衛強化を行なった結果でした。
大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡すると平和な時代になりました。
その後は大切な天守が火災で燃えないようにするため、天守のまわりに建物を建てない独立型が主流になっていきました。
江戸城や大坂城では石垣だけで小天守は建てずに天守を独立させています。
スポンサーリンクまとめ
天守といっても形式・構造と様々な形があります。
そしてそれぞれに時代背景やその天守を建てた大名の格や領土の広さなどによって形や大きさが決まっていました。
こんどお城を見学するとき、天守があるお城だったら望楼型なのか層塔型なのかなど注目してみてください。
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