お城のいろいろ

近畿のお城の特徴 近世城郭発祥の地で全国のお城の基礎となった地域

近畿のお城の特徴

今回は「近畿のお城の特徴」について解説していきます。

近畿地方は日本の歴史において長い間中心的な場所でした。

戦国時代には織田信長や豊臣秀吉、徳川家康が安土城(滋賀県)、大坂城(大阪府)、二条城(京都府)を築くなど重要な場所でした。

安土城本丸の石垣安土城 天主付近の石垣

では日本史で最重要な場所、近畿地方のお城の特徴とは何でしょうか??

この記事では下記↓について解説していきます
  • 近世城郭発祥の地
  • 近畿地方から天下普請によって全国へ普及したお城技術
  • 一国一城令後も築城・増改築が続いた近畿地方

では、「近畿のお城の特徴」について解説していきます。

近畿のお城の特徴 近世城郭発祥の地

近畿地方は近世城郭発祥の地です。

近世城郭とは「高い石垣」「広い堀(水堀)」「天守や櫓」などを持つお城のことで、おもに安土城以降のお城のことをいいます。(近世城郭の中には石垣や天守を持たないお城もあります)

近世城郭以前のお城、つまり織田信長登場以前の戦国時代のお城には石垣は部分的にしか使われていませんでした。
主要な城門付近に限って使用され、高さも低くいものでした。敵の侵入を防ぐためではなく、土塁の土が雨などで崩れないようにする土ドメのためでした。

石垣を大々的に使用し、お城のほとんどを石垣で囲ったのは観音寺城(滋賀県)が最初でした。観音寺城は山城ですが、大名の屋敷があった場所のような重要な場所以外にも、重臣・家臣の屋敷があった場所などにも石垣が使われていました。

観音寺城ー本丸の石垣観音寺城ー本丸の石垣(Wikipedia「観音寺城」より)

多聞城(たもんじょう)(奈良県)にも石垣が使用されていて、天守の前身とされる大きな櫓もあり、石垣上を守る多聞櫓(長屋状の櫓)など後のお城のスタンダードとなる建築物を備えていたと伝わっています。

このように近畿地方の進んだお城技術をまとめ上げたのが織田信長の安土城でした。
安土城は石垣や天主のほか、御殿や城下町も備えていました。

安土城の天主や城門などの屋根には瓦が使用されていました。当時、瓦は少数の職人にしか作ることが許されていませんでした。そのためそれまでのお城や武士の屋敷には瓦は使われていませんでした。瓦には火矢から建物を守るなど防火に使えると織田信長は目をつけたわけです。

安土城の大手道安土城の大手道

信長の後は、豊臣秀吉の大坂城、聚楽第(京都府)、伏見城(京都府)へと受け継がれていき、近世城郭の基礎となっていきました。

大坂夏の陣図屏風の大坂城大坂夏の陣図屏風の大阪城

近畿のお城の特徴 天下普請によって全国にお城技術が普及した!

もっともお城が築かれた時期は戦国時代ではなく、江戸時代初期、とくに関ヶ原の戦いから大坂の陣までの15年間でした。

この15年間に近畿地方でもたくさんのお城が築城・改築されました。
彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、膳所城(滋賀県)、二条城篠山城(兵庫県)、丹波亀山城(京都府)などです。

彦根城・天守彦根城天守

これらのお城には他の地域と違ってある特徴があります。
それは、当時大坂にいた豊臣秀吉の子・秀頼を封じ込めるためのお城だということです。

そしてこれらのお城は天下普請で築かれました。
天下普請とは、豊臣政権や徳川幕府の命令で、全国的に大名が動員されてお城を築くことです。
多くの大名が近畿地方のお城の築城工事に動員されることで、石垣を積み上げる技術や天守を築く建築技術などを大名が学び、その学んだ技術使って大名自身のお城を築いていくことで近世城郭が全国に普及していきました。

天守や櫓、石垣という現代人が持つお城のイメージも、天下普請を通じて技術が全国に普及したことでできあがっていったものかもしれません。

近畿のお城の特徴 一国一城令後も築城・改築がつづいた近畿地方

大坂夏の陣の後、徳川幕府によって「武家諸法度」が出され、そのなかで「一国一城令」によって、大名はお城を一つに制限され、増改築・修理にも幕府の許可が必要になりました。

一国一城令が発布されたあとでも近畿地方では例外的に新規築城や増改築された例があります。

まず、大坂城!大坂夏の陣で焼失した大坂城は2代将軍徳川秀忠によって、豊臣秀吉の大坂城を上回る巨大なお城に再建されました。大坂や西日本に対して「豊臣ではなく徳川の時代になった」ということを誇示する狙いがあったと考えられています。しかし、大坂城は江戸幕府直轄のお城なので、一国一城令に縛られないのは当然といえば当然です。

その他のお城はどうでしょうか!?

尼崎城(兵庫県)明石城(兵庫県)淀城(京都府)は新たに築城され、姫路城では新たに城主になった本多忠政によって三の丸などが大規模に改築され、徳川御三家の一つである紀州徳川家の和歌山城(和歌山県)も整備拡張が行われました。

和歌山城の天守曲輪和歌山城(Wikipedia「和歌山城」)

では、なぜ近畿地方では一国一城令後も新規築城や増改築が続いたのでしょうか?

先ほどあげたお城には共通点がありました。
尼崎城明石城淀城姫路城の大名はすべて譜代大名(関ヶ原の戦い以前から徳川の家臣だった大名)で徳川幕府の手先のような大名でした。そして、和歌山城の紀州徳川家は8代将軍吉宗など将軍を出すほどの家柄でした。

何が言いたいかというと、すべて徳川幕府に親密な関係のある大名のお城だけが一国一城令後も築城・改築されていたということです。大坂の陣のあとは政治の中心は江戸へ移っていくわけですが、それでも2代将軍秀忠は近畿地方の重要性を認識していて、そのために譜代大名や紀州徳川家にお城を築かせて守らせていたことがわかります。

参考資料