松本城の天守にはどんな特徴があるの?
松本城天守の歴史や見どころ・ポイントを知りたいな!
今回は「松本城の疑問」に答えていきます。
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この記事では松本城の天守を3つのポイントにまとめて解説していきます。
- 乾小天守は現存最古の天守か?
- 戦闘的な大天守・乾小天守と平和な時代の辰巳付櫓と月見櫓
- 毎年手入れされている松本城天守の「黒色」
では「松本城の天守」を解説していきます。
Contents
松本城とはどんなお城なの?
長野県松本市にある松本城は江戸時代の天守が残る12城の一つで、この中で唯一の平城。
松本城跡は国の史跡に、大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳付櫓・月見櫓の5棟が国宝に指定されています。
戦国時代、松本城はもともと深志(ふかし)城と呼ばれていて、武田信玄の信濃国(長野県)における拠点の一つでした。
1590年、石川数正・康長親子が城主になると松本城の大改修を実施。このころに天守・石垣・堀などを整備していきます。
明治時代になると松本城の天守は解体や倒壊の危機にありました。
このとき、政治家の市川量造や中学校校長の小林有也らが寄付や展覧会などでお金を集めて買い戻し・修理をして天守を守ったことで、現在の私たちが松本城天守を楽しむことができます。
ポイント1:乾小天守は現存最古の天守か?
- 1590年代に石川数正・康長親子が天守を建てている
- 松本市の公式見解では「1593〜94年に乾小天守・渡櫓・大天守が建てられた可能性が非常に高い」としている
- 天守が1590年代に建てられたとしたら、新しい層塔型天守の形をしているのはなぜか?
1590年に松本城主になった石川数正・康長親子は松本城を大改修しています。
江戸時代(1727年)に書かれた「信府統記」という本には、松本藩や信濃国の地理や歴史がまとめられています。この本の中で「天守ヲ建テ惣堀ヲ浚ヒ幅ヲ広クシテ岸ヲ高クシ石垣ヲ築キ〜」と書かれていました。
このことから、1590年代に松本城は数正・康長親子によって天守や石垣を持つお城に改修されたことがわかります。
また松本市の公式見解では「天守の築造は文禄2〜3年(1593〜94)で、乾小天守・渡櫓・大天守が建てられた可能性が非常に高い」としています。
しかし現在の大天守や乾小天守は「層塔型天守」という形をしていて、天守の中では新しい層塔型天守は1608年頃から建てられるようになっていきました。(初めての層塔型天守は今治城か丹波亀山城の天守)
なので1590年代に松本城が「現在と同じ層塔型天守の形をしていたのか?」という謎が残ります。
乾小天守は1590年代に建てられていて、のちに層塔型天守に改造されて新しく大天守と渡櫓で連結されたと考える説もあります。
松本城天守がいつ建てられたモノなのかはまだまだはっきりしないというのが現状です。
(こちらも参照ください「天守築造年代|国宝松本城」)
スポンサーリンクポイント2:戦闘的な大天守・乾小天守と平和な時代の辰巳付櫓と月見櫓
- 大天守・乾小天守・渡櫓は1590〜1615年頃に建てられた
- 辰巳付櫓・月見櫓は1633年に増築された
- 大天守・乾小天守は戦闘的な特徴を示している
- 月見櫓は開放的で華やかさを演出している
松本城天守のうち、「大天守・乾小天守・渡櫓」と「辰巳付櫓・月見櫓」は別々の時代に建てられています。
「大天守・乾小天守・渡櫓」が建てられた時期はポイント1で書いたようにはっきりとはわからないものの、1590年代〜1615年ころに建てられました。
この頃は関ヶ原の戦いや豊臣家が滅んだ大坂の陣があったりして、政治的に不安定な時代でした。
そのため大天守・乾小天守の1階には大小計12個の石落しが設けられ、鉄砲で攻撃するための狭間が115個も開けられています。また壁の厚みは鉄砲(火縄銃)の弾を通さないよう、約29cmありました。
「辰巳(たつみ)付櫓・月見櫓」は徳川家康の孫・松平直政が松本城主になった1633年に増築されています。
1633年には3代将軍・徳川家光の代になっていて、政治的にも安定していて合戦のない平和な時代になっていました。
そのため増築された辰巳付櫓は大天守・乾小天守と比較すると狭間の数がとても少ない。
月見櫓は三方を仕切っている「舞良戸」と呼ばれる戸板をはずすと、吹き抜けになって開放的な空間になります。また月見櫓には朱塗された廻縁(ベランダ)と高欄(手すり)が付けられ華やかさを演出。
このように「大天守・乾小天守・渡櫓」と「辰巳付櫓・月見櫓」では建てられた時期が約30年ほど異なっているので、それぞれ違った特徴を示しています。
スポンサーリンクポイント3:毎年手入れされている松本城天守の「黒色」
- 黒漆は希少で高価な素材
- 織田信長の安土城や豊臣秀吉の大阪城の天守にも黒漆が使われていた
- 松本城天守の黒色は毎年塗り直されている
松本城天守の「黒色」は姫路城天守の「白色」とよく比較されています。
犬山城や松江城の天守も黒いけど、「黒漆」が塗られているのは松本城天守だけ。
漆は漆の木から採れる天然の塗料で、縄文時代からさまざまな用途で使われてきました。
漆の木は日本や中国・東南アジアにしか生育せず、日本で使われている漆の90%は中国産。お寺やお城の修復には日本産の漆が使われていますが、希少で高価です。
織田信長の安土城や豊臣秀吉の大坂城の天守には黒漆が使われていました。しかし黒漆は高価だったので他のお城には普及していきませんでした。
漆は耐久性のある素材だけど、唯一の弱点が「紫外線」
天守は建物なので紫外線には常にさらされていて、1年で傷みが出て3〜5年で耐久性がなくなってしまうそう。このため松本城天守では毎年漆の塗り替え作業が行われています。
漆を乾燥させるためには温度・湿度を適切な状態する必要があり、毎年9〜10月に作業を実施。
塗り替え費用は約420万円で、毎年手間隙をかけて松本城天守の「黒色」は維持されています。
10月以降の塗り直された直後の天守を見に行くのはいかがですか?
松本城天守を見学しに行こう!
今回は「松本城の天守」を解説しました。
もう一度内容をまとめておきます。
- 松本城天守がいつ建てられたのかはハッキリしていない
- 1590年代には天守が建てられていたという
- 大天守・乾小天守・渡櫓が先に建てられ、防御の工夫が施されている
- 辰巳付櫓・月見櫓は合戦のない時代に建てられた平和な造りをしている
- 天守の黒色は毎年手間隙をかけて維持されている
松本城を見学するときは、この記事を参考に天守に注目してください。
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