丸亀城の天守にはどんな特徴があるの?
丸亀城天守の歴史や見どころ・ポイントを知りたいな!
今回は「丸亀城の天守」の疑問に答えていきます。
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この記事では3つのポイントにまとめて、丸亀城の天守を紹介していきます。
- 天守の建設が制限される中、御三階櫓として建てられた丸亀城天守
- 高さ60mの3段の石垣の上に建てられた丸亀城天守
- 瀬戸内海からの天守の見映えを意識してお城の向きが変更された丸亀城
それでは丸亀城天守を解説していきます。
Contents
丸亀城とはどんなお城?
丸亀城は香川県丸亀市にあるお城で、丸亀平野の北端にある亀山(標高66m)の丘に築かれた平山城です。
丸亀城が初めて築かれたのは戦国時代末期の1597年。豊臣秀吉から讃岐を与えられた生駒親正が築城しました。
江戸時代になると武家諸法度の一国一城令で一時的に廃城になっていた丸亀城。
(一国一城令についてはこちら)
1641年になると幕府からの命を受けた山崎家治が丸亀藩を設立して、丸亀城の改修を開始します。
ここから1673年までの約30年間にわたって丸亀城の改修が続けられ、現在に残る形の丸亀城に。
またこの30年の間に、城主は山崎氏から京極氏へと交代していました。
一二三段と呼ばれる3段、4段に築かれた高石垣や大手門・御殿表門が現存しています。
ポイント1:天守の建設が制限される中、御三階櫓として建てられた丸亀城天守
江戸時代に丸亀城は一時的に廃城になっていた後、再建されたお城です。
江戸時代は武家諸法度でお城の増築・改修は厳しく制限され、修理にも幕府の許可が必要でした。
当然天守の建設も制限されていたので丸亀城に天守を建てることはできません。
そこで丸亀城では三重櫓を「御三階櫓」として届け出て、事実上の天守としていました。
天守ではなく櫓として届け出ることで、幕府の許可をもらうことができたのです。
そして事実上の天守である御三階櫓には、天守の風格を備えるために外観の装飾がほどこされました。
天守1階の北面には出窓が設けられ、この出窓は石落としにもなっています。
2階には「向唐破風」という寺院建築にも用いられる装飾性の高い破風が付けられていて、3階の窓には柿渋で黒く塗られた格子窓が設けられました。
武家諸法度で丸亀城に天守を建てられなかったけど、御三階櫓に装飾を施すことで天守の風格を備えさせています。
ポイント2:高さ60mの3段の石垣の上に建てられた丸亀城天守
丸亀城天守は高さ約15mしかなく、総床面積は約190㎡と現存天守で最小クラス。
(ちなみに姫路城大天守の1階だけで床面積が約432㎡あります)
しかしながら一二三段と呼ばれる高さ60mの3段の石垣の上に天守が建てられたことで、丸亀市街はもちろん瀬戸内海からでも天守を見つけることができます。
丸亀城天守は高さ15mという数字以上の存在感をはなっています。
また現在の天守は単独で建っているけど、江戸時代は渡櫓で2棟の二重櫓と連結されていました。
今のように高層ビルがなく二重櫓に連結されていた丸亀城の天守は、今よりも迫力があったに違いありません。
ポイント3:瀬戸内海からの天守の見映えを意識してお城の向きが変更された丸亀城
1597年に生駒親正によって築城された当初の丸亀城は、お城の正門(大手門)は南にあって南向きのお城でした。
もともと瀬戸内海を背後の水堀とすることで、敵が南から攻めてくることを想定していました。
一国一城令で廃城になっていた後、山崎家治が丸亀城を改修しています。
この時家治は天守の場所を変更して、現在の本丸北側の中央へ移しました。これは天守を見張り台として、瀬戸内海の水運を監視するためだったと言います。
その後の丸亀城の改修は京極氏に引き継がれて、約30年かけて1673年に完了しました。
丸亀城を完成させた京極高豊はそれまで南向きだった丸亀城を、北に正門(大手門)を置くことで北向きに変更しています。
この変更には幕府の許可も必要だったみたいで、なぜ高豊はそこまでしてお城の向きを変えたのでしょうか?
高豊は丸亀城下に「中津万象園」という庭園を造るなど芸術に対して理解が深かった人物。
高豊は丸亀城天守が一番美しく映える北側からの姿を見てもらうために、お城の向きを北向きに変えていました。
丸亀城天守を見学しに行こう!
今回は「丸亀城の天守」を紹介しました。
もう一度内容をおさらいしておきます。
- 武家諸法度で天守は規制されていたので、御三階櫓として建てた
- 御三階櫓に天守の風格を持たせるために外観にさまざまな装飾を施している
- 現存最小クラスの天守だけど60mの石垣の上に建てられたことで存在感を放っている
- 江戸時代に天守は渡櫓で2棟の櫓と連結されていた
- 天守が一番美しく映える北側からの姿を見てもらうために、お城を北向きに変えた
丸亀城を見学するときは、この記事を参考に天守に注目してください。
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