お城のいろいろ

お城めぐりがしたくなる【伊予松山城の天守】を3つのポイントで解説!

解説!伊予松山城の天守
お城好きな武将
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伊予松山城の天守にはどんな特徴があるの?

伊予松山城天守の歴史や見どころ・ポイントを知りたいな!

今回は「伊予松山城の天守」の疑問に答えていきます。

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ゆうき
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この記事では伊予松山城の天守を3つのポイントにまとめて紹介していきます。

伊予松山城の天守 3つのポイント
  • 現在の天守は3代目!幕末に建てられた一番新しい現存天守
  • 複雑な侵入経路で防御力を高めていた伊予松山城の天守
  • 幕末の再建だけど江戸初期の古い外観を目指していた伊予松山城の天守

それでは伊予松山城天守を解説していきます。

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Contents

伊予松山城とはどんなお城?

勝山に築かれた伊予松山城勝山に築かれた伊予松山城

愛媛県の県庁所在地・松山市にある伊予松山城。

豊臣秀吉の家臣で出世して大名になった加藤嘉明が、関ヶ原の戦いのあと1602年から築城開始し、三の丸まで完成したのが1687年でした。

松山平野の中心にある標高132mの「勝山」に築かれたお城で、三大平山城の1つに数えられています。

山頂の本丸には多くの建物(50棟)があります。

このうち天守を含めた重要文化財が21棟で、残りの29棟が戦後に復元された建物(門・櫓・塀)。

伊予松山城は多くの建物があることで、お城の防御の工夫がより実感・体感しやすくなっているお城です。

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ポイント1:現在の天守は3代目!幕末に建てられた一番新しい現存天守

3代目の伊予松山城天守3代目の伊予松山城天守

伊予(現在の愛媛県)に領地を持っていた加藤嘉明は関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍に味方したことで、それまでの10万石から20万石へと領地を加増されています。

それまで嘉明は松前(まさき)城を居城にしていたけど、1602年から伊予松山城の築城を開始しました。

この頃嘉明は山頂の本丸に五重天守(姫路城・松本城天守のように屋根が5つある天守)を建てていました。これが初代天守です。

のちに嘉明は松山から会津(福島県)へ領地替え(国替え)となって、お城の完成を見ることなく移っていきました。

嘉明のあとは蒲生忠知(ただちか)をはさんで、松平定行が城主になり築城工事を引き継いでいきます。

1642年に定行は嘉明が建てていた五重天守を解体して三重天守へと建て替え。

これは幕府に目をつけられないようにと配慮した為と言われています。

定行の2代目天守は140年残っていたものの、1784年に落雷にあって焼失。
このあと藩の財政難もあって天守は70年間再建されませんでした。

天守がようやく再建されたのは幕末(ペリー来航の1年前)1852年でした。

これが現在まで残る3代目の天守で、幕末(1852年)の再建ということで現存天守の中で一番新しい天守です。

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ポイント2:複雑な侵入経路で防御力を高めていた伊予松山城の天守

複雑な経路を持つ伊予松山城の天守複雑な経路を持つ伊予松山城の天守

伊予松山城の天守は複雑な経路をつくることで防御力を高めていました。

伊予松山城天守は天守と小天守、北隅櫓、南隅櫓を多門櫓や十間廊下でつないだ連立式天守という形。(ほかには姫路城や和歌山城の天守が連立式天守)

建物や石垣は江戸時代や昭和に再建されているけど、天守付近の形式・構造は加藤嘉明の築城当初のままです。

本丸の中で天守群が建てられている石垣(本壇)では経路は複雑に折り曲げられ、天守入り口の玄関まで何度も方向転換しながら、天守や櫓からの攻撃を防ぎいくつもの門を突破しなくてはいけませんでした。

玄関へのルートは2つあります。

1つ目は一の門、二の門を通ったあと、すぐにUターンして三の門、筋鉄門から天守曲輪(天守や小天守・多門櫓などに囲まれた中庭)へ至るルート。

2つ目は一の門、ニノ門のあと、天守の奥へまわり込んで仕切門、内門から天守曲輪へ至るルート。

最後は四方を天守や小天守に囲まれ攻撃にさらされる中で、玄関を突破しなくては天守へ侵入できませんでした。

加藤嘉明が伊予松山城を築城した当時は、江戸幕府もできたばかりで政治的にも不安定な時期でした。

関ヶ原の戦いに続く合戦がいつ起きてもおかしくなく、そのために嘉明は天守にも厳重な防御の工夫をほどこしていました。

天守の形式・構造からも築城当時の社会情勢が伝わってきます。

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ポイント3:幕末の再建だけど江戸初期の古い外観を目指していた伊予松山城の天守

古めかしい外観の伊予松山城天守古めかしい外観の伊予松山城天守

伊予松山城の天守は横幅のわりに高さがなく、横長でつぶれた印象を受けます。

これは嘉明が五重天守を建てていた所へ、より小さな三重天守を建てたために現在のような外観の印象になりました。

天守1・2階の外壁は下見板張りで黒色で、最上階と破風は塗籠(ぬりごめ)の白色になっていてアクセントをつけています。

天守に付けられている破風は、東西面の1・2階に同じ大きさの千鳥破風を、南北面では1階に千鳥破風、2階に唐破風を設けていました。

最上階には廻縁と高欄が付けられています。
犬山城天守のように廻縁で外に出ることはできないけれど、設けることで天守の格式を高めていました。

天守の壁を下見板張りとするのは松江城や犬山城天守などと共通しています。

伊予松山城天守は幕末の再建だけど、松江城や犬山城の天守が建てられた江戸時代初期(慶長年間)の古めかしい天守の姿を目指していたことがうかがえます。

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伊予松山城の天守を見学しに行こう!

今回は「伊予松山城の天守」を紹介しました。

もう一度内容をおさらいしておきます。

  • 現在の天守は3代目で、幕末に建てられた一番新しい現存天守
  • 連立式天守で、加藤嘉明の築城当初からこの形
  • 天守へ侵入するためには天守からの攻撃を防ぎつつ複雑な経路を進まなくてはいけない
  • 複雑な侵入経路からも当時の社会情勢が伝わってくる
  • 下見板張と塗籠を使い分けて天守にアクセントをつけている
  • 天守は幕末の再建だけど、江戸初期の古めかしい姿を目指していた

伊予松山城を見学するときは、この記事を参考に天守に注目してください。

この記事がわかりやすかったら、シェアしてくれるとうれしいです。

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