今回はお城用語をわかりやすく解説「出入り口編」です。
前回の記事では曲輪(くるわ)について解説しました。
曲輪とは簡単に言うと、本丸や二の丸など土塁、石垣や水堀などで区切られた区画のことです。
そしてこの曲輪という区画のなかに御殿や天守などの重要な施設を建てて守るわけです。
お城をめぐる戦いはかんたんに言うと、本丸や二の丸への侵入しようとする敵とそれを防ごうとする味方の攻防です。
本丸の防御を完璧にするにはかんたんで周囲をすべて石垣で囲ってしまえばいいのです。
しかし、それだと敵は侵入することはできないけれど、味方の出入りや普段の使い勝手が悪くなってしまいます。
そこで、曲輪のどこかで石垣や土塁を切り欠いて、出入り口をつくります。
出入り口をつくると曲輪にとって弱点になるので、敵はとうぜん出入り口を攻めてきます。
なので、出入り口をどう守るかを戦国大名や武将は考えて工夫していました。
では、お城の出入り口はどうなっているのか見ていきましょう!
- 出入り口は複雑なほうがいい?カンタンなほうがいい?
- いろいろな出入り口のカタチ
- 出入り口に入る前に左右を見てみよう!
Contents
出入り口は複雑なほうがいい?カンタンなほうがいい?
お城の出入り口は土塁や石垣の一部分を切り欠いて、そこを通路とします。
しかし、そのままだと敵もどんどん入ってきてしまうので、切り欠いた部分に門をおく。
門の内側に引きこもっているだけでは、いつか門を壊されてしまうので門の前にいる敵を攻撃したい。
なので通路を曲げたり工夫して、敵を1方向だけじゃなく横や後ろからでも攻撃できるようにしていく。
突破されない最強の出入り口にするには、通路をクネクネと折り曲げ、門を2重、3重にすれば良い。
こんな出入り口だと敵兵は左右からの攻撃をしのぎながら門へとたどり着き、さらに門を2つ3つと突破していかなくてはならない。これだと敵軍に大損害を与えられそうだ。
しかしこんな防御重視の出入り口では現実的ではありません。
なぜ複雑さを追求してはいけないのかには、3点あります。
1つ目に、工事期間が長くなる、石垣を築くなどの工事の難易度も上がってくるし、予算や人員にも限りがある。
2つ目に、お城に適した場所にも限りがあるので、大きな門を2つも3つもと置いてしまうと城内の利用できる面積が減ってしまう。それだと大名の居住施設であり政庁でもある御殿を建てる場所がなくなってしまいます。
3つ目は、守ってばかりでは勝てないということ。サッカーでも全員で自陣にひっこんで戦っていても失点もなければ得点もないので勝てない。勝つためにはスキを見て攻めていかなければいけない。これはお城でも同じで、敵のスキを見て逆襲しにいく。そのとき、出入り口が複雑だと外に出るのに手間どって逆襲のチャンスを逃してしまうかもしれない。
なので、上の3点をふまえた上で、シンプルでありながら防御力もあるという矛盾していそうな問題を解決していかなくてはいけません。
熊本城(熊本県)は城内の面積が減ることをわかっていた上で、鉄壁の防御に徹していました。
通路を6回も折り曲げ、その間にやぐら門(門の上部がやぐらになっていて、ここから門に向かってくる敵を攻撃できる)を2つと、五階やぐら(内部が5階建てになっているやぐら、熊本城以外なら天守と呼んでもよい大きさだった)を1つがあります。
熊本城を攻める場合、この通路を突破するには石垣ややぐらからの鉄砲の攻撃を防ぎながら、門を2つ破らなくてはいけなかったのです!
スポンサーリンクいろいろな出入り口のカタチ
ここからは実際の出入り口がどうなっているのか見ていきましょう。
平入り出入り口
平入り(ひらいり)出入り口は、最も単純で土塁、石垣の切り欠いた部分に門を置いただけのカタチです。
平入り出入り口は単純な形状のため防御力は弱いですが、城内の有効スペースが減らないのが利点です。
防御力をおぎなうために、門をやぐら門にしたり近くにやぐらを建てたりしました。
二条城(京都府)の東大手門(現在は一般観光客の出入り口)は平入り出入り口です。平入り出入り口にすることで、御殿などを建てるためのスペースを確保することが目的でした。二条城では防御力よりも政治面を重視したお城だったとわかります。(多くの家臣や使者が出入りしやすいことや、政庁である御殿を大きくすることができる)
一文字出入り口
一文字出入り口は平入り出入り口の門の前後に障害物をおいた形状です。
門の前後の一方か両方に障害物(土塁など)を置くだけで、城外から城内のようすを見ることができない、門を直接大砲や鉄砲で攻撃されないようにできるなどのメリットが得られます。
五稜郭(北海道)は出入り口の城内側にだけ障害物を置いています。
敵は障害物にあたって、左右どちらかに方向転換しなくてはいけないので突撃スピードを緩めることができます。
また、出入り口に向かってまっすぐ向かってくる敵に対して、障害物に身を隠しながら攻撃することも可能です。
喰い違い(くいちがい)出入り口
喰い違い出入り口は土塁や石垣をちょっとズラしてそこに門を置いた形状です。
喰い違い出入り口のメリットは、敵を側面から攻撃することが可能だということです。
敵は門を突破するためには土塁や石垣と平行に進まなければいけません。門を突破しつつ、側面からの攻撃も防がなくてはいけないので一苦労です。
会津若松城(福島県)では出入り口ではないですが、本丸を中央で左右に仕切るための多聞やぐら(長屋状のやぐら)を喰い違いに置いて、その間に門を置いています。
上の写真ではわかりずらいですが、会津若松城の本丸の出入り口は写真の上方向と左方向にあります。もしどちらかの出入り口が突破されたとしても本丸を天守と多聞やぐらで中央で区切っているので本丸すべてが占拠されることを防ぐことができます。多聞やぐらに門を作らないと普段の行き来が不便になってしまうので、多聞やぐらを喰い違いにして門を作った、ということです。
外枡形(そとますがた)出入り口
外枡形は枡形と呼ばれる四角形の空間を作り、そこに門を2つを置いた形状です。次に説明する「内枡形」との違いは枡形を本丸などの曲輪(くるわ)から飛び出た形状にしているのか(外枡形)、曲輪の中に作っているのか(内枡形)です。
外枡形は枡形と呼ばれる四角形の空間に、敵をおびき寄せて攻撃することができます。
本丸などの曲輪から飛び出した形状をしているので、曲輪内部のスペースを減らさず作ることが可能です。
さらに飛び出した形状をしているので城外へ反撃にでるときにも有利です。
松本城(長野県)のように外枡形でも次に説明する内枡形でも、一の門と二の門と2つの門を備えているお城がたくさんあります。
しかし、それらのお城では一の門と二の門の向きが90度ずれている例のほうが多いです。
そんななか、松本城では一の門と二の門が同じ方向を向いているのが特徴です。
本丸の二の丸のカタチ、外枡形出入り口をどこに置くのか、二の丸の出入り口との位置関係などの関係で、一の門と二の門を同じ方向に向けざるをえなかったのではないでしょうか。
同じ方向を向きつつも門の位置をズラすことによって外枡形出入り口本来の効果も発揮することができます。
内枡形(うちますがた)出入り口
内枡形出入り口は先ほど説明した外枡形出入り口と違って、枡形と呼ばれる四角形の空間が本丸などの曲輪(くるわ)の内部に置かれている形状をしています。
内枡形出入り口は外枡形とちがって、枡形とよばれる四角形の空間が城内にあることでこの空間に3方向から攻撃することが可能という防御力がとても高い出入り口です。
大阪城(大阪府)の場合は、枡形の1方向が堀に面しているので、2方向からしか攻撃することができません。が、2方向からの攻撃だけでも十分な防御力を持っていたでしょう。
スポンサーリンク出入り口に入る前に左右を確認してみよう!
戦国時代末期から江戸時代初期はとくにお城が発展していった時期ですが、この時期に出入り口も「外枡形」「内枡形」へと発展していきました。
平入りや喰い違いなど出入り口の形状を工夫することで敵を侵入させないようにしていました。このほかの工夫に、「左袖(ひだりそで)」というものがあります。
「左袖」とは上の名古屋城(愛知県)の写真のように出入り口付近の石垣を外に飛び出させて、そのうえにやぐらを建てています。
そうすることで、門の前に集まってくる敵を側面から攻撃することが可能になります。城内から見たときに石垣の飛び出た部分が左側にあることから「左袖」と呼ばれるようになったそうです。
しかし、左袖といっても左側に固定されているわけではなくて、お城それぞれで都合のいいほうへやぐらが建てられています。
大阪城大手門では名古屋城とは逆で、城内からみて出入り口の右側にやぐらが建てられています。
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