お城の歴史

お城の歴史 室町時代

室町時代

南北朝時代ー中世山城の登場

元寇後、鎌倉幕府の支配力が弱まると近畿以西を中心に主人や領地を持たずどこの勢力にも属さない傭兵集団が強い勢力と財力を持つようになります。
彼らの本拠は山の中にあり、平地で奪ってきた物資などを山中に隠していました。山にこもって生活するうち次第に、そこが拠点となり山城へと発展していきました。

南北朝時代の山城は古代以来の山岳寺院を利用したものが多い。
当時の合戦は騎馬戦が主力でした。だから馬では登ってこれないような急な山の上に城を築くほうが有利でした。
山奥にあり居住スペースや水源もある山岳寺院は山城にとって絶好の立地。
しかし山城はゲリラ戦には強いですが、政治や経済拠点としては不向きであったため室町時代には用いられなくなっていきました。

この頃の山城は山上の尾根つたいに段々畑状の小さな「曲輪(くるわ)」を連ねて、重要なところは「堀切(尾根を切断したところ)」、「空堀(水がはられていない堀)」や「土塁」を配置していました。
「石垣」は土塁が崩れないようにするなどごく一部にしか使用されませんでした。

 

中世の山城イメージ

花の御所と守護所

1378年、室町幕府3代将軍足利義満は京都に足利氏の邸宅として、東西約109m×南北約218mの敷地に御所を建造しました。
これを「花の御所」といいます。
各地の守護大名から花などが贈られ敷地内の庭園で季節ごとの花が楽しむことができたことから「花の御所」と言われるよう。

花の御所の敷地面積は天皇の御所の2倍にも及ぶ面積でした。また位置も天皇の御所より北に位置するということで、天皇や朝廷に対する示威行為であったとも考えられます。

花の御所 Wikipedia「花の御所」より
花の御所の位置

室町時代初期の守護大名は自分の領地である地方には住んでおらず、京都に住んでいました。
しかし、応仁の乱などで戦乱が続き荒廃した京都からそれぞれの領地へ移住するようになりました。
移住した守護大名たちは自分の邸宅(守護所)として、「花の御所」を真似た館をつくりました。そのため全国各地につくられた守護所の構造はほぼ共通しています。

花の御所」を真似ることは室町幕府の権威を後ろ盾にしていることを示し、統治をしやすくするためでした。

山梨県甲府市の躑躅ヶ崎館や岐阜県飛騨市の江馬氏下館などがあります。

参考資料