お城の歴史

お城の歴史 明治時代 つぎつぎにお城が壊されるなか立ち上がった人たちがいた!!

お城の歴史明治時代

今回は、お城の歴史「明治時代編」です。

お城好きにはとても悲しい時代がやってきました。

明治維新戊辰戦争も終わるとともに、武士の世も終わってしまいます。

ということは、お城の必要性がなくなってくるんです。

もともとお城は各大名の持ち物でしたが「廃藩置県」で中央政府・国のものとなりました。

「江戸300藩」といわれるように江戸時代には約300の藩があり、それぞれがお城もっていました(お城を持てなかった藩もありました)。

しかし、明治新政府にとって約300ものお城は必要ないのです。

では、明治時代のお城の歴史を見ていきましょう。

この記事では下記⬇︎について解説しています
  • 「廃城令」とは?
  • 「存城処分」で残されたお城
  • 「廃城処分」となったお城
  • お城を守った人々

廃城令とは!?

「廃城令」とは残されたお城をどうするかという法律です。

1873年(明治7年)に太政官(明治時代初期にあった政府の役職)から陸軍と大蔵省(現・財務省)にたいして「全国城郭存廃ノ処分並兵営池塘選定方」という通達がされました。
これを略して「廃城令」、「城郭取壊令」とか「存城廃城令」と呼びます。

この通達にうよって、お城は下記の2種類に分けられました。

明治維新後、陸軍の所有物となっていたお城を、

  • 陸軍が軍用地として使用するお城
  • 陸軍が使用しないものは大蔵省へ引き渡して売却用財産とするお城

存城処分で残されたお城

解体中の小田原城天守解体中の小田原城天守

陸軍が軍用地として使用するお城は「存城処分」となりました。

お城が残されるといっても軍用地としてお城の土地を使うことなので、広い敷地を確保するために、石垣を壊し、堀を埋め立てていました。

ほかには、石垣や堀は壊さずに建物だけを取り壊すことで敷地を確保することもありました。
また、広い三の丸などがあるお城の場合、三の丸の建物だけを壊して本丸の建物(御殿や天守、櫓など)がそのまま残されることもありました。

「存城処分」となったお城は江戸城など「43城」で、残りのお城は「廃城処分」となりました。

廃城処分となったお城

傾いている松本城天守右へ傾いている松本城天守

陸軍では使用されず「廃城処分」となったお城は、大蔵省に引き渡され売却されることになりました。

おもに地方公共団体の庁舎(市役所など)や学校の用地として売却されました。

例えば、家康の隠居後のお城として有名な「駿府城(Google Mapへ)」ですが、駿府城の三の丸があった場所には「静岡県庁」「静岡県警」「税務署」「市立体育館」「小・中・高校」などが建てられています。

売却されたお城は約150城あり、そのなかで取り壊しをまぬがれたものはわずかに1/4ほどでした。

残されたお城も維持していくには大きな手間がかかり、傷みが激しいものもありました。

姫路城天守ですら23円50銭で落札されました。
1897年(明治30年)頃の物価で、当時の1円が現在の3800円相当らしいので、姫路城の落札価格をこれに当てはめると「89300円」になります。10万円で姫路城天守が買えるなら買いたいですねぇ。しかしこの価格は解体費用などがかかることから安く設定されたようです。

競売にかけられたのは天守だけでなく、櫓・門・御殿・土蔵・土塀などの建物のほか、城内の樹木にいたるまで競売の対象になり民間へ売られていきました。

門や土蔵など利用価値のあるものは売却ののち解体され移築されたものが多くあります。門などは近くのお寺に移築されるケースが多くありました。

そのほかの売却された建物は解体され、木材はまきとして売られていきました。(このため一時まきの値段が暴落したというほど)

お城を守った人々

戦争で焼失する前の名古屋城天守と本丸御殿戦争で焼失する前の名古屋城天守と本丸御殿

お城がつぎつぎと壊されていくなかで、お城を残そうとしていた人もいました。

陸軍の「中村重遠」大佐は陸軍卿「山県有朋」にたいして、建築学的にも芸術としても価値のあるお城をどうにか保存できないかを訴えました。
中村大佐の訴えを聞き入れた山県有朋はお城の保存を決定し、1879年には陸軍の費用で姫路城と名古屋城の修理がされました。

松本城は民間人によって守られたお城です。

当時「信飛新聞」を発刊していた「市川量造」は、松本城天守が落札された話を聞きつけて保存することができないか奔走した人でした。

「笹部六左衛門」という人が松本城天守を買ったわけですが、市川量造は取り壊しを待ってくれと頼みに行きました。
その後、市川量造は有志とともに資金を集め、とりあえず松本城を「10年間借用」することができました。

市川量造と有志らは松本城での博覧会を開催(5回)。
その博覧会での収益でやっと松本城を買い戻すことができたのである。

また明治天皇の一言で取り壊しをまぬがれたお城もあります。

明治天皇が彦根に立ち寄った際、大隈重信(早稲田大学をつくった人)が明治天皇に対して彦根城の保存を提案。
明治天皇はこの提案に同意し、彦根城の保存を命令。

このようにして彦根城は守られました。

廃城令で取り壊しをまぬがれたお城(一部)

  • 弘前城(青森県)
    本丸御殿などは取り壊されたが、旧藩主の津軽家がお城の貸与を許可され公園として一般開放される。
  • 松本城(長野県)
  • 丸岡城(福井県)
    一時は競売にかけられ落札されたが、町民によって買い戻され丸岡町(現・福井県坂井市)に寄付される。
  • 犬山城(愛知県)
    廃城令で天守以外取り壊し。明治24年の濃尾地震で被害を受けたが修復を条件に旧藩主・成瀬家に譲渡される。
  • 大垣城(岐阜県)
  • 彦根城(滋賀県)
  • 二条城(京都府)
    陸軍から宮内庁へ引き渡され、二条離宮として残された。
  • 姫路城(兵庫県)
  • 松江城(島根県)
  • 備中松山城(岡山県)
  • 福山城(広島県)
  • 丸亀城(香川県)
    櫓や塀は順次取り壊されたいたが、旧藩士の嘆願により天守と大手門は取り壊しをまぬがれる。
  • 伊予松山城(愛媛県)
  • 宇和島城(愛媛県)
  • 高知城(高知県)

参考資料