徳川家康が生まれたお城としても有名な岡崎城にはどんな歴史があるの?
岡崎城は誰が築城したのか?戦いがあったのかなど知りたいな!
今回は「岡崎城の歴史」を紹介します。
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この記事では下記のポイントで岡崎城の歴史を紹介していきます。
- 家康誕生の100年前に築城された岡崎城
- 桶狭間の戦いをキッカケに岡崎城で独立した徳川家康
- 現在の岡崎城の基礎を築いた田中吉政
- 家康生誕の城として神聖視された岡崎城、譜代大名が城主に
それでは岡崎城の歴史を紹介していきます。
Contents
岡崎城とはどんなお城?
愛知県の東部、岡崎市にある岡崎城。
岡崎城は徳川家康が生まれたお城として特に有名で、2023年の大河ドラマ「どうする家康」が放送予定なのでこれから注目が集まるお城の一つ。
現在のお城跡は本丸と二の丸が岡崎公園になっていて、約800本の桜が植えられています。
公益財団法人日本さくらの会によって「日本さくら名所100選」に選ばれていて、桜の季節には毎年「岡崎の桜まつり」が開催され賑わっています。
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ここからは岡崎城の歴史を戦国時代〜現在まで順に紹介していきます。
戦国時代の岡崎城
家康誕生の100年前に築城された岡崎城
徳川家康が生まれたお城として有名な岡崎城。
岡崎城が初めて築かれたのは家康が生まれるより100年前のことです。(家康は1546年生まれ)
1452〜55年頃、三河守護を務めていた大名・仁木氏の補佐役(守護代)・西郷頼嗣(よりつぐ)が築城したことが始まり。
頼嗣は岡崎城の南にあった明大寺城を拠点にしていて、このお城の北側の守りを強化するために岡崎城の場所に砦を築きました。この時の砦は現在の本丸程度だったと考えられています。
岡崎城の場所は、北から流れる矢作川と東から流れる乙川(菅生川)の合流地点にある龍頭山(標高24m)と呼ばれる丘でした。龍頭山は2つの川を堀として利用でき、標高24mとはいえ岡崎平野を一望することができました。
家康の祖父・父が亡くなり岡崎城は今川氏の支配下に
砦を築いていた西郷頼嗣は文明年間(1469〜87)の初め頃に、松平信光の攻撃を受けて敗北。頼嗣は信光の子・光重を養子として迎えることで家を乗っ取られ、隠居したとされます。
松平光重の子・信貞は、松平家の本筋(総領家)の松平清康(家康の祖父)と争って敗北。
その結果、岡崎を奪った清康は岡崎城に拠点を移して、砦から本格的なお城へと改修しました。
その後、清康は家臣に暗殺されてしまいます(守山崩れ)。息子の広忠(家康の父)が跡を継いだけど、まだ家康が幼少だった時期に亡くなってしまいました。
まだ幼かった家康は、尾張の織田家や駿河の今川家で人質として過ごすことになり、城主がいなくなった岡崎城を含め、三河は今川義元の支配下に置かれました。
桶狭間の戦いをキッカケに岡崎城で独立した徳川家康
1560年、尾張をほぼ統一した織田信長と、駿河・遠江・三河を領有していた今川義元が桶狭間で激突。
この戦いの時、家康は18歳になっていて、今川家の武将として参戦していました。
桶狭間の戦いは知っての通り、織田信長の勝利で終わります。
戦いの結果、岡崎城からも今川軍は退却。これをチャンスに家康は岡崎城に入城し、戦国大名として自立。
家康は岡崎城を本拠地に、三河を領有していきます。
現在の岡崎城の基礎を築いた田中吉政
桶狭間の戦いから約10年間(1560〜70)、家康は岡崎城を拠点にしていたけど浜松城へ移ります。
岡崎城主には家康の子・信康が城主になりました。しかし敵国・武田家への内通(密通)を信康は疑われ、自害へ追い込まれました。
その後の岡崎城は石川数正、本田重次が城代として岡崎城を管理していきます。
豊臣秀吉が小田原城の北条氏を滅亡させて天下統一を達成。
この結果、家康は北条氏の領地だった関東地方へ領地替えとなります。
徳川家がいなくなったことで、新たに岡崎城主になったのが田中吉政。
吉政は岡崎城を拡張して、のちに田中堀と呼ばれる総構えの堀を造り、東海道を城下町を通るようにしました。
吉政が江戸時代や現在まで残る岡崎城の基礎を造りました。
吉政は拡張工事に際して、本丸などに石垣を築いて天守を建てています。吉政が岡崎城に初めて天守を建てていて、現在の天守台石垣は吉政が造ったものです。
現在の天守台石垣の積み方の特徴などが、関ヶ原の戦い以前の石垣の特徴を示していることから、吉政が造ったものだと考えられています。
吉政の初代天守は、天守台の大きさから逆算して「三重四階地下一階」と推定。これは現存する犬山城天守と同じくらいの大きさです。
江戸時代の岡崎城
家康生誕の城として神聖視された岡崎城、譜代大名が城主に
田中吉政は関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍に味方して、関ヶ原本戦でも活躍。戦いの直後には逃走していた石田三成を捕まえる功績も挙げています。
この戦功で吉政は岡崎10万石から九州柳川城32万石へと、領地を増やして移っていきました。
吉政の後は本多康重が城主になります。本多康重は家康が武田家や秀吉と争っていた時期からの古い家臣でした。ここから、本多氏のように関ヶ原の戦い以前から家康の家臣だった大名(譜代大名)が岡崎城主を務めていきます。
徳川家康生誕のお城として江戸時代を通して岡崎城は神聖視され、5万石と領地はそれほど大きくないものの城主になれることが名誉でした。
本多氏は康重ー康紀ー忠利ー利長と4代続き、田中吉政の岡崎城をもとにさらに整備していました。
天守、二重櫓19棟、多門櫓と櫓門で42棟あって、5万石の領地には不釣り合いの大城郭になっています。家康生誕のお城なのにちっぽけなお城ではダメだということで、岡崎城は整備されました。
吉政の初代天守は1604年の地震で倒壊したらしく、13年後の本多康紀のときに2代目天守を再建しています。2代目天守は明治まで残り、古写真も残っています。
江戸時代の岡崎城主は本多ー水野ー松平ー本多と続いて、本多忠直のときに明治維新を迎えています。
明治時代の岡崎城
廃城令で建物は取り壊され、城跡は公園に
明治時代になって廃藩置県が行われると、岡崎県が作られて岡崎城内に県庁が置かれていました。
明治政府が出した廃城令によって、全国のお城で天守や櫓・門などのお城の建物は払い下げられ取り壊されていきます。
岡崎城も例外ではなく、天守や櫓・門などすべての建物が1873〜74年に取り壊されました。
1875年には城跡(本丸)は公園として残されることになり、大正時代(1919年)には二の丸跡も公園に追加され岡崎公園になります。
現在の岡崎城
本丸に天守が復興され、発掘調査が進んでいる岡崎城
戦後の1959年に現在の天守が鉄筋コンクリートで復興されました。
現在の天守は最上階に廻縁(ベランダ)を設けるなど、史実とは異なる外観をしています。
1962年には岡崎公園一帯が市指定史跡になって、保存されることに。
平成になると発掘調査が行われて、2007年の調査では岡崎城北側の大林寺郭堀の石垣が確認されました。
この石垣は全長30m、高さ7.5m以上あり、上下2段に分かれていました。石垣の積み方の特徴などから関ヶ原の戦い以前に築かれた可能性があり、田中吉政が築いた石垣とされています。
石垣が発見された場所が本丸から500mも離れた場所にあり、離れた場所に大きな石垣を構築していることから岡崎城がいかに大きなお城だったのかが分かった発見でした。
2010年には総工費1億円で東隅櫓が木造再建されています。
東隅櫓について、江戸時代の絵図は残っていたものの図面はありませんでした。そこで愛媛県の伊予松山城に現存する野原櫓などを参考にし、江戸時代の工法を用いて東隅櫓は再建されました。
岡崎城の歴史年表
1452 | 三河守護・仁木氏家臣の西郷頼嗣が築城 |
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1531 | 松平清康が城主になり、岡崎城を整備 |
1535 | 家臣の叛逆によって清康が暗殺される(守山崩れ) |
1542 | 徳川家康が岡崎城で生まれる |
1549 | 松平広忠が亡くなる 岡崎城は今川氏の支配下になり城代が置かれる |
1560 | 桶狭間の戦いで今川義元が敗れる 徳川家康が岡崎城に入り、戦国大名として独立 |
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1570 | 家康は浜松城へ移り、息子の信康が岡崎城主に |
1579 | 信康は謀反の疑いをかけられて自害 本多重次や石川数正が城代を務める |
1590 | 家康が関東へ移り、田中吉政が岡崎城主に 吉政は天守を建てるなど岡崎城の整備を始める |
1601 | 吉政に代わって本田康重が城主に |
1604 | 吉政の初代天守が地震によって倒壊 |
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1617 | 2代目天守が完成 |
1645 | 本多利長に代わって、水野忠善が城主に |
1762 | 水野忠任に代わって、松平康福が城主に |
1769 | 松平康福に代わって、本多忠粛が城主に |
1871 | 廃藩置県によって岡崎県ができ、城内に県庁が置かれる |
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1873 | 廃城令によって天守や櫓・門などの建物が取り壊される |
1875 | 城跡(本丸)が公園として残される |
1919 | 二の丸跡も公園になり、岡崎公園に |
1959 | 3代目天守が鉄筋コンクリートで復興される |
2010 | 東隅櫓が木造で再建される |
岡崎城へのアクセス
- 愛知県岡崎市康生町561番地1
- 電車での行き方:名鉄名古屋本線「東岡崎駅」より徒歩15分
- クルマでの行き方:東名高速道路「岡崎IC」より約10分
- 詳しくはこちら「アクセス・営業案内|岡崎公園ー岡崎市観光協会公式サイト」
岡崎城を見学しに行こう!
今回は「岡崎城の歴史」を紹介しました。
もう一度ポイントをおさらいしておきます。
- 家康誕生の100年前に築城された岡崎城
- 桶狭間の戦いをキッカケに岡崎城で独立した徳川家康
- 現在の岡崎城の基礎を築いた田中吉政
- 家康生誕の城として神聖視された岡崎城、譜代大名が城主に
お城それぞれの歴史を知っているとお城めぐりもより楽しくなるので、気になるお城の歴史を知れべてみるのはいかがですか。
お城の歴史を知って、もっとお城めぐりや歴史ドラマ、ゲームなど楽しんでいきましょう。