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武田流築城術
今回は戦国最強軍団とも言われる甲斐の武田氏のお城について解説していきます。
武田氏のお城の特徴について本などでよく見かけるのは、「丸馬出」です。
馬出という出入口を守るための空間を持つお城は戦国時代をとおしてどこの地域でも分布しています。
しかし、「丸馬出」を持つお城に関しては、甲斐・信濃・駿河・遠江そして三河・上野の一部にしか分布していません(現在の山梨・長野・静岡・愛知・群馬県)。
この地域は武田氏の勢力範囲とピッタリ合うのです。
それでは武田氏の「丸馬出」は他の地域の馬出とどう違うのか、どういった特徴があるのか解説していきます。
スポンサーリンク武田流築城術 -丸馬出ー
前回紹介した後北条氏の「角馬出」は虎口という出入口を出て、橋で堀を渡った先が敵に取られないように馬出で囲うという進入路との関係から馬出が発展していきました。(詳しくはこちら▶︎「お城の歴史 戦国時代③ 土の城の王者・北条氏の築城術とは!?」)
対して武田氏の「丸馬出」は最初から射撃陣地としての性格を強く持っていました。
どうしてこういう半円形なのかというと、円というのは死角を作らないため射撃陣地として有効だからです。
また後北条氏はお城ごとに最も効果的なポジションを選び抜いて角馬出を設計していました。
比べて武田氏は定型性が強くて常にお城の最外郭、一番外側に配置していました。
馬出の後方、お城との堀の幅より、馬出の前方、お城の外側の堀の幅を広くしています。
これも射撃陣地として有効活用するためです。
武田氏の丸馬出のもう一つの特徴として、丸馬出と桝形虎口をセットにしていることです。
前回解説した後北条氏の角馬出と桝形虎口はそれぞれ攻撃機能と進入阻止機能とに分かれ発展していきました。
(詳しくはこちら▶︎「お城の歴史 戦国時代③ 土の城の王者・北条氏の築城術とは!?」)
しかし、武田氏の丸馬出と桝形虎口ではそういった機能分担をせず、セットにして一か所の出入口に攻撃と防御の機能を強化していきました。
武田氏の桝形虎口は[]型で進入路は後北条氏のものと比べるとシンプルになっています。
後北条氏の桝形虎口は通路幅も狭く曲がりくねっていました。こういった造りにすると敵の侵入は防ぎやすい反面、反撃・逆襲時に兵を速やかに出しにくいというデメリットも持っています。
武田氏の[ ]型の桝形虎口とすることで、出撃前の兵を一時待機するための空間を作ることで反撃・逆襲しやすくしています。
しかし敵の侵入を防ぐという点においては後北条氏のものが優れているといえます。
そこで武田氏は丸馬出と桝形虎口をセットとすることで攻撃と防御の両面を強化していったのです。