お城の歴史

「古代山城」天智天皇が築いた古代日本を守るためのお城とは?

「古代山城」天智天皇が築いた古代日本を守るためのお城とは?

今回は「古代山城(こだいさんじょう)」について解説していきます。

「環濠集落」は日本のお城の原点になるけど、お城って言われると違和感がありますよね。(ヨーロッパのような城塞都市と言えばいいかな!?)

では本格的なお城はどこから始まったかと言うと、今回解説する「古代山城」。

古代山城をみるとき、当時の日本が置かれた東アジアの国際関係を考えるとわかりやすいです。

今回は、古代山城の成り立ちとともに、古代山城のなかで大野城(おおののき)、基肄城(きいのき)、水城(みずき)について解説していきます。

基肄城の水路跡基肄城(きいのき)の水路跡

Contents

「古代山城」とは?

「古代山城」(こだいさんじょう)とは、7世紀を中心に日本と朝鮮半島・中国との国際関係の悪化によって築かれたお城。

7世紀頃の東アジア(白村江の戦い)7世紀頃の東アジア(白村江の戦い)

朝鮮半島・中国との関係悪化により、日本も攻め込まれる危険がありました。そこで日本を守るために九州から近畿地方にかけて当時の権力者だった天智天皇が百済からの亡命者の協力も得ながら古代山城を築きました。

九州から近畿地方にかけて27城が築かれ(文献に載っていないだけで未発見のお城があるかも)、いずれもそれぞれの地域の中心になる平野に近い丘や山の上に築かれました。

古代山城の分布古代山城の分布

古代山城の最大の特徴は戦国・江戸時代のお城と違って、石垣・土塁を何㎞にもわたって築き、丘や山を1周して広大なお城にしていること。古代山城は「城づくり=城壁づくり」と言うことができます。

古代山城の最大の特徴である城壁は、周囲約2㎞〜3㎞のものが中心で、外壁の角度は60度〜80度と江戸時代のお城の石垣と比べても急な角度になっています。

白村江の戦いでの敗戦をキッカケとした築城だったけど、力をつけてきた大和朝廷の支配強化も目的としていました。

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太宰府を守るために築かれた「大野城」「基肄城」「水城」

西日本に築かれた古代山城。今回はそのなかでも大野城(おおののき)、基肄城(きいのき)、水城(みずき)を紹介します。

太宰府と「大野城」「基肄城」「水城」太宰府と大野城、基肄城、水城

当時の太宰府は大和朝廷の九州支配の中心であり、朝鮮・中国に対する玄関口でもあり、とても重要な場所でした。

この太宰府を朝鮮半島からやってくると予想される敵に対して守らなくてはいけない。そこで大野城、基肄城、水城を築いていきました。

大野城(おおののき)

大野城大野城

大野城は太宰府のすぐ近くにあり、詰めの城(緊急避難するための城)の役割もありました。

大野城は標高410mの四王寺山の山頂を中心に、周囲約8㎞にわたって土塁・石垣で囲ったお城。

大野城跡マップ(宇美町役場 大野城散策マップより)大野城跡マップ(宇美町役場 「大野城散策マップ」より)

大野城の北側・南側は土塁・石垣が二重に作られ、より厳重に守られていました。

城内8ヶ所に数棟で一群となった約70棟の建物跡があり、防御設備はなくほとんどが倉庫であったと言われています。

大野城の建物跡(礎石)大野城の建物跡(礎石)

水城(みずき)

水城は博多湾に上陸した敵を太宰府に近づけさせないために作られた土塁です。

水城(みずき)の構造水城(みずき)の構造

土塁は幅約80mで高さ13m、堀の幅は約60mあります。戦国時代の土塁と比べてもとても大きな土塁を約1.2㎞にわたって築きました。

土塁の下に水路を通すことで、水を堀のすみずみまでいきわたらせていました。

水城跡水城の土塁跡

基肄城(きいのき)

基肄城(きいのき)は大野城より小さく、城壁の総延長は約4.2㎞です。

構造は大野城と同じで、城壁は土塁と石垣で築かれました。谷や城門周辺など重要なところは石垣が築かれていました。

基肄城の水路跡基肄城の水路跡
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古代山城は「朝鮮式山城」「神籠石系山城」とも呼ばれていた。

古代山城は以前「朝鮮式山城(ちょうせんしきやまじろ)」と「神籠石系山城(こうごいしけいやまじろ)」と呼ばれていました。

この「朝鮮式山城」と「神籠石系山城」の違いは、「日本書紀などの文献に記載があるお城かどうか」です。
「朝鮮式山城」が文献に記載があり、「神籠石系山城」は文献に記載がありません。

朝鮮式山城(文献に記載がある) 神籠石系山城(文献に記載がない)
高安城(たかやす)(奈良県) 播磨城山城(はりまきやま)(兵庫県)
茨城(いばら)(場所不明) 大廻小廻山城(おおめぐりこめぐりやま)(岡山県)
常城(つね)(広島県) 石城山神籠石(いわきさん)(山口県)
長門城(ながと)(山口県) 鬼ノ城(きのじょう)(岡山県)
屋嶋城(やしま)(香川県) 讃岐城山城(さぬききやま)(香川県)
大野城(おおの)(福岡県) 永納山城(えいのうさん)(愛媛県)
基肄城(きい)(福岡県) 鹿毛馬神籠石(かけのうま)(福岡県)
鞠智城(きくち)(熊本県) 雷山神籠石(らいざん)(福岡県)
金田城(かねだ)(長崎県) 杷木神籠石(はき)(福岡県)
三野城(みの)(福岡県) 阿志岐山城(あしきさん)(福岡県)
稲積城(いなづみ)(福岡県) 高良山神籠石(こうらさん)(福岡県)
女山神籠石(ぞやま)(福岡県)
御所ヶ谷神籠石(ごしょがだに)(福岡県)
唐原山城(とうばるさん)(福岡県)
帯隈山神籠石(おぶくやま)(佐賀県)
おつぼ山神籠石(佐賀県)

以前は文献に記載のあるなしで呼び名が違っていた「古代山城」ですが、お城の構造的には違いはなく、「朝鮮式山城」「神籠石系山城」と呼び名を分けていることは不便だということで現在は「古代山城」で統一されています。

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まとめ

今回は「古代山城(こだいさんじょう)」について解説しました。

当時の中国「唐」はローマ帝国とならんで世界最強国でしたから、そんな国にケンカを売ってしまった日本・天智天皇には相当な危機感があったんじゃないでしょうか。

古代山城にかぎらずお城を見学する際には、そのお城が築かれた改修された時期の時代背景や周辺状況(近くに敵国や敵城があったかなど)を予習しておくと、お城をより楽しむことができます。

見学の際にはこの記事を参考にしてもらえるとうれしいです。

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