お城の歴史

お城の歴史 室町時代 足利義満の花の御所と南北朝時代の山城

お城の歴史室町時代

今回は「室町時代のお城」について解説していきます。

こんな人にオススメの記事です
  • お城の歴史をおおまかに知りたい人
  • お城に興味を持ち始めた人

室町時代は「乱世に始まって乱世に終わる」時代といわれるほど争いばかりでした。
そして室町時代からお城が急発達していく戦国時代へとつながっていきます。

では室町時代のお城や武士の館はどのようなものだったのでしょうか?
今回はそんな疑問を解消していきます。

まずは室町時代のお城のポイントを3つ紹介します。

  • 全国の花木が植えられていた足利義満の花の御所
  • 花の御所をマネして建てた守護大名の館
  • 山の地形を最大限利用した南北朝時代の山城

では室町時代のお城を紹介していきます。

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室町時代ってどんな時代だったの?

天皇家が2つに別れて争っていた南北朝時代

後醍醐(ごだいご)天皇は足利尊氏(たかうじ)や新田義貞などの武士や楠木正成(くすのきまさしげ)の協力を得ることで鎌倉幕府を倒すことができました。
そして天皇中心の政治を後醍醐天皇は行っていきます。(建武の新政)

しかし多くの武士の協力を得て鎌倉幕府を倒したのに、後醍醐天皇は武士をかるく扱っていました。この対応に武士の間では不満がたまっていきました。

そこで北条時行(ときゆき)が鎌倉幕府復活を図って、鎌倉を占拠する事件が発生。
しかしこの騒動は足利尊氏によって鎮圧されてしまいます。
そして、武士の間では尊氏の人気が高まっていき、「尊氏なら武士による新しい政府(幕府)を立ち上げてくれる」と期待されていきました。

それで尊氏は後醍醐天皇を京都から追放。
光明天皇という別の天皇を立てて「北朝」という朝廷をつくりました。そして尊氏自身は征夷大将軍になって室町幕府を開きます。

京都を失った後醍醐天皇は吉野(奈良県)へ逃れて、北朝に対抗して「南朝」をつくりました。

ここから60年間、北朝と南朝で争っていた時期を「南北朝時代」といいます。

戦国時代へとつながっていく応仁・文明の乱

室町時代ができたころは、南北朝、観応の擾乱、鎌倉幕府の復活、と争いが絶えませんでした。
そのため武士はさまざまな立場に別れて争うことに。
このことから武士がなかなか一つにまとまることができませんでした。

そこで尊氏は地方の武士を従えるために、守護の権力を拡大。守護に年貢の一部を徴収する権利や裁判の判決権などの支配権の拡大を認めました。
尊氏は自分に従わせるために、有力武士に権限を与えていきました。
鎌倉時代とは違い、守護から「守護大名」と呼ばれるようになっていきます。

大きな権力が与えられた守護大名はしばしば足利将軍家を超える力をもつこともありました。
3代将軍・足利義満はこれを危険と判断。義満は力をつけた守護大名をワザと挑発することで反乱を起こさせて、反乱を理由につぶしていきました。

8代将軍・足利義政は「優柔不断」な人物でした。
将軍後継者の決定、幕府の財政難や民衆の一揆への対応など、政治は他の大名に任せて、善政は趣味に没頭していました。
この義政の態度が11年に及ぶ「応仁・文明の乱」を招いてしまいます。

将軍の後継者争いからはじまった「応仁・文明の乱」。有力大名たちは自分の利権や自分の家の相続争いなど利己的な戦いを11年にわたって続けていました。

守護大名は応仁・文明の乱のために京都へ出陣していました。
そこで全国各地にある守護大名の領地の実権を、「守護代」や「国人・国衆」が持つようになっていきます。
守護代とは大名に代わって領地の管理をしていた家臣で、国人・国衆はもともと土着していた武士のこと。

また「山城の国一揆」や「加賀の一向一揆」など、一揆によって守護大名を追い出してしまうケースもありました。
このように下克上の風潮が高まっていき、戦国時代へとつながっていきます。

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室町時代のお城

3代将軍・足利義満の花の御所

花の御所の場所花の御所の場所

「花の御所」とは3代将軍・足利義満が築いた館で、京都市の一条通り(一条大路)の北側に建てられています。そしてその規模は東西109m✖️南北218mで、当時の天皇の御所の2倍という大きさでした。

当時、天皇の御所は一条通りより南側にあり、義満はそれより北側に自身の御所を建設しました。
義満は「天子南面(てんしなんめん)」を意識していたといいます。天子南面とは、天から統治を許された者(皇帝、天子)は北を背にして南を向くという意味です。

本来は天皇の御所が一番北にあることで「天子南面」にしていました。
しかし義満はそれを破って、より北側に花の御所を建てています。
これは天皇(朝廷)に対する威嚇(いかく)だったとも言われています。

また花の御所内に鴨川から水を引いていました。そして大名から贈られた花木が植えられていて、ここから「花の御所」と称されるようになっていきました。
発掘調査では、館を守る堀跡、広い池、大きな景石群が発見されています。

織田信長が上杉謙信に送った、京都の街が描かれている「上杉本 洛中洛外図屏風」に御所が描かれています。これは義満が建てた花の御所ではなく、12代義晴もしくは13代義輝が再建した御所だと考えられています。

花の御所をマネして作られた守護大名の館

江馬氏下館(岐阜県)江馬氏下館(岐阜県)

室町時代のほとんどの守護大名は自分の領地ではなく、京都に住んでいました。
しかし11年におよぶ応仁・文明の乱によって京都は荒れてしまいます。すると大名たちは京都をはなれて自身の領地へと移っていきました。

すると大名たちは各地に自身の居館を建てていきます。おまけにその居館は京都の花の御所をマネしたものでした。

なぜ大名たちが花の御所をマネした居館を建てたのか?
それは都の将軍御所と似た館を建てることで、幕府の権威を後ろ盾にして地方を統治することと守護大名の権力を地元に認めさせる目的があったからです。
こうした守護大名の館は「守護所」と呼ばれていました。

大友氏館跡庭園(大分県)、武田信玄の躑躅ヶ崎(つつじがさき)館(山梨県)などが守護所として有名です。

さらに守護所をマネした館を在地の国人・国衆が建てていました。
江馬氏下館(岐阜県)は飛騨の在地領主(国衆)だった江馬氏が築いた館です。現在の江馬氏下館は建物と庭園が復元されていて、当時の館を体感することができます。

これらの館は基本的に四角形に作られていて、「方形(ほうけい)館」といわれます。
もともと館は立地を優先して建てていたので、山城よりは防御力が劣ります。
だけど争いが絶えなかった室町時代で、館の防御力も上がっていきました。
館の周りに堀や土塁を2重、3重につくるようになっていきます。
安東氏館(青森県)では街全体を守るように堀と土塁が作られていました。

山のけわしさを利用した南北朝時代の山城

後醍醐天皇が山城として利用した笠置寺後醍醐天皇が山城として利用した笠置寺

鎌倉幕府が弱体化してくると世の中が不安定になっていきました。
すると自然の要害(山)を利用した山城が作られるようになっていきます。

山城での籠城戦(ろうじょうせん:お城にこもって戦うこと)は少ない兵士でも大軍と対等に戦うことができました。

この頃の山城は緊急時に籠城するのが目的。なのでカンタンな防御設備(曲輪や堀切、柵、乱杭、逆茂木(さかもぎ))などを作っただけのお城でした。
また戦国時代のように山城で生活することはありませんでした。

普段は平地の居館(守護所など)に住んでいて、敵が攻めてきた時など緊急時に山城を利用していました。この方式を「根古屋(ねこや)式」といいます。
武田信玄の躑躅ヶ崎館と要害山城がこの根古屋式に当てはまります。

また山岳寺院も山城として利用されていました。
もともと厳しい場所にあった山岳寺院はお城に最適でした。寺院なのでお堂や伽藍(がらん)などの建物があり、籠城戦に好都合だったからです。

この頃の山城、「山の尾根に平らな場所(曲輪)を作るタイプ」と「山岳寺院をお城として利用するタイプ」、どちらのタイプの山城も山のけわしさを最大限利用して防御力を高めていました。

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室町時代のお城 まとめ

今回は「室町時代のお城」を紹介しました。

室町時代には3つのポイントがありました。

  • 全国の花木が植えられていた足利義満の花の御所
  • 花の御所をマネして建てた守護大名の館
  • 山の地形を最大限利用した南北朝時代の山城

室町時代は「乱世に始まって乱世に終わる」と言われるほど、争いばかりの時代でした。
そのため山城が作られるようになり、武士の館も堀や土塁をつくって防御を意識するようになっていきます。

お城というと戦国〜江戸時代のお城がイメージしやすいです。
どうお城の発展が戦国〜江戸へとつながっていくのか、戦国以前の歴史からさかのぼって知っていくことでお城をより楽しむことができます。

次回から、いよいよ戦国時代のお城を紹介していきます。

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