今回は「お城の風水」について解説していきます。
みなさんは風水についてはどれほど意識していますか?
「西に黄色いものを置く」と金運が上がるなどいろいろなものがあります。
戦国武将もお城を築くときには風水を、特に「鬼門」を意識していました。
鬼門とは鬼門(きもん)とは、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位のことである。陰陽道では、鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としている。(Wikipedia「鬼門」より)
現代以上にゲンを担いだり、戦をするかどうかも占いで決めていた戦国時代にあって、お城にはどのような工夫をほどこしていたのでしょうか?
下記のことについて解説していきます。
- お城の立地と風水の関係
- お城にほどこした「鬼門よけ」の工夫
ではお城の風水について解説していきます。
Contents
お城の立地と風水の関係
「風水」とはもともと古代中国の思想で、「物の位置で気の流れを制御しよう」というものです。
これが飛鳥・奈良時代に日本にも伝わり、陰陽道などとして独自に発展していきました。
中国の古い書物「礼記(らいき)」では「東に流水あり、南に窪地あり、西に大道あり、北に丘陵のある地」が縁起が良いとしていて、平安京を建設するときの参考にしたとも言われています。
平安京の場合は「東の鴨川、南の巨椋池、西の山陽道、北の船岡山」です。
では、お城の立地ではどうだったのでしょうか?
実際のところ、どこまで意識していたのかわかりません。
江戸城の場合でも、東の流水は江戸湾?西の大道は東海道や甲州街道?南の窪地はどこだろう?という感じです。
築城の際には、防御性を中心に現実的な観点(水陸交通の便、都市機能の発展性・平地の広さなど)を考えていました。
なので、中国の礼記にあった「東に流水あり、南に窪地あり、西に大道あり、北に丘陵のある地」に当てはまっていなくても問題ありませんでした。
スポンサーリンクお城のほどこした「鬼門よけ」の工夫
前項でお城の立地については風水を意識していなかったと述べました。
しかし、戦国大名たちは「鬼門」については意識していました。
鬼門の方角が「北東」ということだけ覚えておきながら読み進めていってください。
鬼門よけの工夫 曲輪の切り欠きと入隅
鬼門への対策として「鬼門よけ」があり、お城でもいろいろ工夫されています。
一番わかりやすいものが「曲輪の切り欠きと入隅」です。
鬼門の方角「北東」の曲輪の角を切り欠いたり、入隅にすることです。
弘前城では本丸の北東の角を切り欠くことで、鬼門よけとしていました。
八代城では本丸の北東の角を「入隅」と言って中に石垣を折る工夫をしていました。
弘前城や八代城のように本丸などの曲輪の角を切り欠いたり入隅にする工夫は全国的にみられます。
それほど鬼門を意識していたことがわかります。
鬼門よけの工夫 お寺を建てる
次の鬼門よけの工夫は「お寺を建てる」です。
鬼門の方角「北東」にお寺を建てることで鬼門よけとしていました。
最も有名なのが「江戸城(東京都)と寛永寺」です。
上野にある寛永寺は江戸城の鬼門除けとして、北東約4kmの位置に建てられました。
お城ではないですが「平安京と比叡山延暦寺」や「平城京(奈良県)と東大寺」も鬼門を意識して北東にお寺を建てていました。
鬼門だけじゃない、吉の方角「北西・南東」
鬼門は「北東」でしたが、吉の方角もあります。「北西」と「南東」です。鬼門へは鬼門よけとして曲輪を切り欠いたり、お寺を建てていましたが、吉の方角にもふさわしい建物がありました。
吉の方角「北西・南東」には「天守」や表口である「大手門」をもってくると縁起が良いとされていました。
天守を南東に築くと後ろにある御殿の日当たりが悪くなるので、天守は北西が好ましいです。なので、自然に大手門は南東に設けると良い。
さらに天守や大手門だけでなく、御殿の玄関や大名のプライベート空間である奥御殿を吉の方角「北西・南東」に持ってきていました。
大名たちは鬼門だけに限らず、吉の方角へも天守や大手門を築くことで風水(陰陽道)を意識していました。
スポンサーリンクまとめ
- 鬼門よけとして、曲輪の北東隅を切り欠いたり、入隅にしていた。
- 鬼門よけとして、お城の北東方向にお寺を建てていた。
- 吉の方角に、天守・大手門・御殿の玄関・奥御殿を建てると縁起が良い。