お城のいろいろ

お城と桜 2020年さくら情報

3月も下旬に入り、そろそろ各地で桜が開花を始める時期になってきました。

桜は古くは平安時代、古今和歌集にも桜を題材にした歌が多く残されています。

紀友則の「ひさかたの ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ」などは知っている人もいるのではないでしょうか。

そして豊臣秀吉は京都市伏見区にある醍醐寺に700本もの桜を植えさせて慶長3年3月15日(1598年4月20日)に諸大名を招き盛大な花見をしていました。

日本人にとってなじみ深い花・桜ですが、みなさんはいつもどこでお花見をしていますか?近くの公園?堤防など?

今年はお城と一緒に桜を楽しんでみてはいかがでしょうか?


Contents

日本さくら名所100選

財団法人日本さくらの会が1992年に「日本さくら名所100選」を発表しました。

このなかにお城のある公園・名所は29か所も選ばれています。

お城は桜の名所ともなっているんですね!

今回はこの中から3か所、そのお城の簡単な歴史とともに紹介していきます。

次の3城は、桜の名所であり、戦国時代や幕末の熱く壮絶な歴史を持っています。

  • 高遠城址公園
  • 姫路城
  • 熊本城

今年はお城で当時の英雄たちを事跡をたどりながらお花見してはいかがでしょうか?

高遠城址公園(高遠城)長野県伊那市

1582年(天正10年)、高遠城は織田信長による武田攻めの際、信長の長男・信忠の5万もの大軍に攻められました。

武田家は武田信玄の死去以来、四男・勝頼が織田・徳川相手になんとか持ちこたえてきましたが、この状況は絶体絶命。

武田では家臣だけでなく、血縁者までもが我先にと織田・徳川へと寝返りが相次ぎました。

大軍に攻められ寝返りが相次ぐなか、織田軍に対して徹底抗戦をした武将がいました。

その名は仁科盛信。武田家当主・武田勝頼とは異母兄弟。

武田勝頼は高遠城救援のため出兵するが、救援は不可能とみて途中で引き返してしまいました。

この時点で高遠城は落城必至。降伏してもだれもが仕方がないと思う状況。

敵将・織田信忠からの降伏勧告も盛信のもとへ届けられました。

しかし、盛信は降伏勧告を断固拒否。徹底抗戦します。

降伏勧告拒否の翌日。織田軍総攻撃の中、織田軍にも多大な損害を与え奮戦。

しかし、奮戦むなしく最後は自刃。享年26。

高遠城守備兵3000人のうち2800人が討ち死にしました。

 

高遠城址公園は日本三大桜名所にも数えられ、「天下第一の桜」と称されるタカトオヒガンザクラが約1500本植えられています。

かつての英雄を偲びながら花見をしてみてはいかがでしょうか?

所在地:長野県伊那市高遠町東高遠

開花時期:4月6日頃

見ごろ:4月11日頃

夜桜・ライトアップ:日没~22:00

電車・バス:JR飯田線「伊那市駅」よりJR路線バス終点「高遠駅」下車 徒歩約15分

電車・バス:高遠さくら祭り期間中、循環バス・シャトルバスあり(詳しくは下記お問合せより↓)

クルマ:中央自動車道「伊那IC」より約30分、「小黒川スマートIC」より約25分

駐車場:あり(有料)

お問合せ:https://takato-inacity.jp/h30/takatoh_sakuramaturi_no_goannnai



姫路城 兵庫県姫路市

言わずと知れた世界遺産、姫路城。

城域が特別史跡に、天守群など8棟が国宝に、そのほか74棟もの建造物が重要文化財になっています。

姫路城が現在の姿になったのは関ケ原合戦後、徳川家康の娘婿でもあり信頼のある池田輝政(父は信長重臣の池田恒興)によって改修。

関ケ原合戦で家康が勝利し、家康の天下となったと考えがちだがとんでもない。

たしかに関ケ原合戦の3年後江戸幕府が成立し、家康に権力が集中してゆく。

しかし、関ケ原合戦から大坂冬の陣までの14年間は徳川家康VS旧豊臣大名による米ソ核開発競争とでも言えるような、お城建築競争が繰り広げられていたのだ。

そのなかで姫路城は家康方の最前線のお城として築かれた。

姫路は九州・中国地方から大坂・京都へのぼる途中に位置している。

九州・中国地方にたくさんいる親・豊臣大名が大坂に健在の豊臣秀吉の子・秀頼と合流を遮ることが狙いで姫路城が選ばれました。

大坂への合流を遮るため、姫路城には最後まで徹底抗戦をするための工夫がされています。

まず迷路のような通路。

この写真のように天守に向かって進めると思いきや、この後Uターンさせられます。

さらにその背中を天守から射撃されてしまいます。

また通路幅も狭いので槍などを持った兵を一度に多く突撃させられません。

そして、天主内部。

ふつうは本丸だけを残し、そのほかをすべて敵に占領され包囲されてしまったら降伏します。

しかし、姫路城は本丸だけ、天守群だけになっても徹底抗戦し、敵を大坂へ近づけさせないという意気込みが感じられます。

そのために天守最下層の地階には、台所や厠(トイレ)があり、さまざまな戦闘用の仕掛けが施されています。

ここでは紹介しきれないので現地で楽しんでください。

 

実際には戦闘は起こらなかった姫路城。

しかしその細部には緊張感あふれる時代背景が伝わってきます。

そのような歴史を感じながら桜と姫路城を楽しんでみてはいかがでしょうか?

平成の大修理を終え、より一層白く美しくなった姫路城に桜が映えます。

内堀には約1000本ものソメイヨシノが植えられており、お堀の水面に桜が映り込み風情のある景観が楽しめます。

夜にはライトアップされ夜桜と姫路城が楽しめます。(夜桜会(姫路城))

所在地:兵庫県姫路市本町開花時期:3月22日頃

見ごろ:4月4日頃

夜桜・ライトアップ:日没~24:00

電車・バス:JR山陽新幹線「姫路駅」より徒歩20分

クルマ:山陽自動車道「山陽姫路東IC」より約14分

駐車場:あり

お問合せ:http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle.html



熊本城 熊本県熊本市

天守=お城と思っている人が多いのが実情である。

そびえ立つ天守の美しさを否定するつもりはない。

天守のある城だけが名城とされてきた。

だがこれらの名城で実際に戦闘があった城というとほとんどない。

しかし熊本城は築城から270年もの時を経てから初めての戦闘に直面した。

築城当時、櫓49、櫓門18、その他の城門29、井戸は120に達していたといわれ徹底して籠城への備えがなされていた。

熊本城を築城した築城名人・加藤清正は豊臣秀吉の子・秀頼を熊本へ迎え、徳川家康に対して対抗しようと目論んでいたともいわれる。

そんな熊本城が1877年(明治10年)の西南戦争で本領発揮した。

鹿児島で挙兵した西郷隆盛は1万3千の戊辰戦争を戦い抜いた兵を引き連れ北上し熊本城へと迫った。

対する熊本城守備隊は3千3百あまり、しかも農民主体であり戦闘経験は皆無であった。

そんな圧倒的不利な状況の中、政府軍の到着まで持ちこたえられるかどうかが問題だった。

結果、政府軍の到着までの約2か月におよぶ籠城に耐えた熊本城と守備隊。

西郷隆盛は「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と嘆いたエピソードが伝わるほど熊本城の堅牢ぶりがうかがえます。

2016年熊本地震で被害を受けた熊本城。現在も一部閉鎖され入れない場所があります。

お城の中心部へは近づけないが、約800本の桜が植えられており楽しむことができます。

大河ドラマ「西郷どん」の主人公西郷隆盛が、最後にしのぎを削った場所が熊本城。

そんな場所を桜と共に楽しんでみてはいかがでしょうか?

所在地:熊本県熊本市中央区本丸

開花時期:3月17日頃

見ごろ:3月25日~4月1日

夜桜・ライトアップ:日没~23:00

電車・バス:熊本駅より(市電)「熊本城・市役所前電停」 下車 徒歩10分

電車・バス:熊本駅より(バス)「交通センターバス停」 下車 徒歩10分

クルマ:九州自動車道「熊本IC」より国道57号線経由 約30分

クルマ:九州自動車道「益城・熊本空港IC」より国道36号線経由 約25分

駐車場:あり、「二の丸駐車場」「三の丸第一駐車場」など5か所

お問合せ:熊本城公式WEBSITE