お城の歴史

日本一高い場所にある女城主のお城【岩村城の歴史】を一記事で解説!

解説!岩村城の歴史
お城好きな武将
お城好きな武将

岐阜県にある日本一高い山城や石垣で有名な岩村城にはどんな歴史があるの?

岩村城は誰が築城したのか?どんな戦いがあったのかなど知りたいな!

今回は「岩村城の歴史」を紹介します。

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ゆうき
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この記事では下記のポイントで岩村城の歴史を紹介していきます。

岩村城の歴史のポイント
  • 岩村城女城主おつやの方
  • 信玄の跡をついだ武田勝頼と織田信長の岩村城攻防戦
  • 松平家乗が石垣や三重櫓を築いて岩村城を現在の形に
  • 江戸時代の古い町並みがのこる岩村城下町

それでは岩村城の歴史を紹介していきます。

岩村城とはどんなお城?

江戸時代の町並みが残る岩村城下町江戸時代の町並みが残る岩村城下町

岐阜県恵那市にある岩村城。

岩村城は標高717mに築かれた山城ということから「日本一高い場所になるお城」と言われ、高取城(奈良県)・備中松山城(岡山県)とともに三大山城の一つに数えられています。

岩村城は信濃(長野県)や三河(愛知県)に近い位置関係から、戦国時代には織田信長と武田信玄・勝頼との間で争奪戦が繰り広げられることになりました。

岩村城の見どころはなんと言っても「石垣」!
特に圧巻なのが本丸北東に築かれた6段の石垣。通称「六段壁」と呼ばれています。この石垣は背面にある石垣が崩れるのを防ぐために、その前面に5段にわたって石垣を積むことで崩落を防いでいました。

また岩村城の城下町は江戸時代の古い町並みが残されていて、観光名所にもなっています。NHK連続テレビ小説「半分、青い」の舞台にもなりました。

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岩村城の歴史

ここからは岩村城の歴史を戦国時代〜現在まで順に紹介していきます。

戦国時代の岩村城

源頼朝の重臣・加藤景廉が築城し、遠山氏の居城に

岩村城の場所岩村城の場所

岩村城が築城されたのは鎌倉時代(平安末期)とされています。

鎌倉幕府を作った源頼朝の重臣・加藤景廉(かげかど)が美濃国恵那郡の遠山荘の地頭に任命され、1185年に景廉によって岩村城が築城されました。
景廉の長男・景朝(かげとも)から遠山性を名乗り、戦国時代の遠山氏へとつながっていきます。

室町時代になって応仁・文明の乱(1467ー77)が起きると、岩村城のある東美濃は一時的に信濃守護の小笠原氏の支配下になっていました。

その後、武田信玄が信濃の小笠原氏などを破って領地としていく中で、遠山氏が東美濃を回復していったと思われます。そうした中、岩村城の遠山景前(かげまえ)は三男・直廉を苗木城の苗木家に養子として送り込み、支配下としました。

遠山一族は岩村城の遠山景前を中心に結束し、岩村、苗木、明智、串原、阿木、飯羽間などのお城を拠点に「七遠山」として東美濃に勢力を誇っていきます。

織田と武田に挟まれて、困った遠山氏の選択とは!?

岩村城の石垣岩村城の石垣

武田信玄が信濃を領地としていくと、1555年頃に遠山氏は武田信玄に従属しています。
その一方で遠山氏は尾張(愛知県)の織田氏とも婚姻関係を結んでいました。

遠山景前は次期当主になる景任に信長のおば(おつやの方)を正室に迎えていて、苗木城の遠山直廉は信長の妹と結婚していました。

遠山氏は織田と武田の境目にあって、両者の影響を強く受けています。そのため遠山氏はどちらか一方に属するのではなく、遠山氏は織田と武田の両方と関係を持つことで両属という立場をとっていました。

そして織田信長は苗木城の遠山直廉の娘(信長の姪にあたる)を自身の養女として、武田勝頼(信玄の四男)のもとへ嫁がせています。そうして織田と武田の同盟を成立させました。

このように遠山氏は織田と武田という大きな大名に挟まれながらも、両者の関係を取り持っていました。

岩村城女城主おつやの方

岩村城の石垣(おつやの方イメージ)岩村城の石垣(おつやの方イメージ)

1572年に岩村城主の遠山景任が亡くなると、織田信長は景任に跡継ぎがいなかったことから自身の息子・勝長を遠山家の養子にしました。
遠山一族の中心だった岩村城の遠山氏に養子を送り込んだことで、信長は岩村城だけでなく苗木城など東美濃地域を信長の影響下にすることに成功しています。

同じ1572年に武田信玄が徳川家康の領地(静岡県)へ侵攻を開始。(西上作戦)これで信玄は家康と同盟していた織田信長とも対立することになって、遠山氏を中継して結ばれていた織田・武田同盟は解消されてしまいました。

家康領を攻めていった信玄本体とは別に、別働隊の秋山虎繁が東美濃へ侵攻を開始。岩村城を包囲しました。

この時信長が養子として送り込んだ勝長はまだ幼少だったため、岩村城を実質的に治めていたのが遠山景任の未亡人・おつやの方でした。このことからおつやの方は女城主と言われています。

しかしながら、秋山虎繁の武田軍に対して岩村城はどうすることもできず降伏。
降伏の条件として「おつやの方が虎繁と婚姻すること」があり、おつやの方はこれを承諾して岩村城を開城しました。

また幼少だった信長の息子・勝長は武田軍に捕らえられ、人質として武田信玄の本拠地・甲府へと送られています。

信長は信玄に攻められている家康を支援するために、岩村城以外の遠山氏や東美濃の武将に再度岩村城の奪還を命令。しかしながら上村合戦(恵那市)で織田軍は武田軍に敗北し、岩村城は取り戻せませんでした。

信玄の跡をついだ武田勝頼と織田信長の岩村城攻防戦

岩村城の井戸跡岩村城の井戸跡

武田信玄による徳川家康の領地を攻めた西上作戦は、信玄が急死したことで中止。武田軍は撤退していきました。

信玄が亡くなった翌年(1574年)、武田家をついだ武田勝頼はまず最初に東美濃を攻めています。この時に東美濃では武田のお城になった岩村城に対して、信長は18もの砦を築いて包囲していました。

勝頼は岩村城を救援するため東美濃に出陣し、岩村城周辺の明智城や串原城などを落城させています。
これに対して信長は援軍として駆けつけようとしたけど間に合いませんでした。その後、勝頼と信長はしばらく睨み合ったものの、勝頼は苗木城を除く遠山一族の領地を得ただけでこの時は深入りはしませんでした。

1575年になると長篠の戦い(愛知県)で武田勝頼は織田・徳川軍に大敗北してしまいます。

長篠の戦いをキッカケに信長は息子の信忠に岩村城を攻撃させました。
織田軍に対して岩村城が強硬に抵抗したため、信忠は無理に攻めずにお城を包囲して食糧不足を狙う「兵糧攻め」を行なっています。

信忠による岩村城包囲は5ヶ月にわたって続き、武田勝頼は援軍を送ったものの織田軍によって防がれていました。

5ヶ月にわたる籠城戦の末に、秋山虎繁とおつやの方は助命を条件に降伏。岩村城は再び織田信長のお城になります。

しかし信長は降伏の条件だった「虎繁とおつやの方の助命」を無視。2人を長良川ではりつけにして処刑。岩村城内の兵士も皆殺しにされたといいます。
鎌倉時代から長く岩村城を治めてきた遠山氏は、この時を最後に岩村城へ戻ってくることはありませんでした。

この後、武田家滅亡や本能寺の変、小牧・長久手の戦いを経て、岩村城主は河尻秀隆、団忠正に変わり、最終的に東美濃を領地とした森忠政のお城になっています。

関ヶ原の戦いで石田三成の西軍に味方した岩村城

岩村城の通路と石垣岩村城の通路と石垣

1598年に豊臣秀吉が亡くなると、翌年(99年)に森忠政は東美濃から信濃の川中島へ移っていきました。
代わって岩村城では田丸直昌が4万石で城主になっています。

1600年、徳川家康の号令によって始まった会津征伐(会津の大名・上杉景勝を征伐)に岩村城主の田丸直昌も参加していました。

ところが家康が会津へ向かっている途中、近畿地方で石田三成が家康に対して挙兵。すると美濃では岐阜城の織田秀信(信長の孫、信忠の子)は三成の西軍に味方し、美濃の武将は秀信に従って西軍に味方することにしました。

家康は小山(栃木県)で会議を開き、会津征伐を中止し石田三成と対決するために近畿地方へ向かうことを決定。
このときに家康は会議に参加していた武将に三成の西軍に味方するか、家康に従うかは自由にして良いと言いました。

参加していた田丸直昌は豊臣家への恩を忘れることができないとして、家康の元を離れて西軍に味方するために岩村城へ戻っていきました。これに対して家康は怒るわけでもなく、直昌の忠臣ぶりを高く評価していたといいます。(この逸話は創作とも)

そして家康が率いる東軍が美濃や近畿地方へ迫ってくると、家康は東美濃の旧領主だった遠山氏、小里氏、妻木氏などに岩村城などの攻略を命令。

この時、岩村城主の田丸直昌は大坂へ向かっていて、お城は家臣に任せていました。
岩村城側も砦を築くなどしていくつかの小さな戦いに勝利するものの、最終的には東軍に包囲されることに。

ところがこの時すでに関ヶ原で石田三成と西軍本隊が家康と東軍に敗北していました。
籠城戦を続けていた岩村城へは、城主の田丸直昌が使者を送って開城・降伏させています。

江戸時代の岩村城

松平家乗が石垣や三重櫓を築いて岩村城を現在の形に

岩村城の出入口岩村城の出入口

関ヶ原の戦いの後、田丸氏はお城と領地を取り上げられ、代わって松平家乗が城主になりました。岩村城は家乗と2代目乗寿によって整備されていきます。

まず家乗は山上にあった御殿を不便だったという理由で麓へ移し、石垣や三重櫓も建設しています。また武家屋敷や町人街、お寺など城下町も整えていき、有能な商人を尾張や三河から招いて城下町の経済を発展させていきました。

山間部に位置する岩村は経済的に不利だったため、なんとか発展させようと家乗や乗寿は努力していました。

乗寿のあとの岩村城主は、丹羽氏をはさんで再び松平氏になります。
岩村城の松平氏は領地数万石の小さな大名だったけれど、親藩大名だったこともあり老中や若年寄、大坂城代など幕府の重要なポジションを任されていました。

幕末、新政府軍に決断を迫られた岩村藩

幕末になると尊王攘夷や開国派、倒幕派など各地の藩がさまざまな立場に分かれて争っていきます。

岩村藩は松平家で親藩大名だったこともあり、当初は江戸幕府側でした。

1868年、戊辰戦争が始まって薩摩藩や長州藩の新政府軍が岩村城へ迫ってくると、新政府軍に味方するのかどうするのか、ハッキリするように求めてきました。

この時の藩主・松平乗命(のりとし)は江戸にいたため家臣が会議で開いて議論し、藩主を守るためには新政府に従うしかないと決め、薩摩藩や長州藩に従いました。

その後、岩村藩は尾張藩や苗木藩とともに新政府軍から信濃の防衛を命じられています。

明治時代の岩村城

廃城令で建物が取り壊された岩村城

明治時代になると岩村城も廃城令によって、全国のお城と同様にお城の建物が取り壊されていきました。

藩主が住んでいた麓の藩主邸は取り壊されることなく残っていたけど、1881年の火災で消失しています。

また土岐門にあった城門は城下の徳祥寺へ、不明門と伝わる門は妙法寺へ移築されて現存しています。

岩村八幡神社はもともと城内の八幡曲輪にあり、廃城時に現在の場所へ移設されたものです。

現在の岩村城

江戸時代の古い町並みがのこる岩村城下町

藩主邸跡に復元された太鼓櫓藩主邸跡に復元された太鼓櫓

現在の岩村城には現存する建物はないものの、石垣や曲輪、堀などが残っています。

1990年には麓の藩主邸にあった表御門と太鼓櫓などが復元されました。

岩村城跡は岐阜県の指定史跡になっていて、標高721mで日本一高い場所にある山城として、高取城(奈良県)・備中松山城(岡山県)とともに「三大山城」と呼ばれています。

また城下町は全長1.3kmにわたって江戸時代の古い町並みが残されていて、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

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岩村城の歴史年表

1185 加藤景廉が岩村城を築城したとされる
1467−77 応仁・文明の乱、東美濃は一時的に小笠原氏の支配下に
1555 岩村城の遠山氏はこの頃武田信玄に従属する
1570 秋山虎繁が岩村城を攻撃、遠山景任が明智光秀に助けってもらって撃退
1572 遠山景任が亡くなる
織田信長が五男勝長を遠山氏の養子にし、おつやの方が岩村城女城主に
1573 岩村城は武田軍に攻められ降伏・開城
降伏の条件としておつやの方が秋山虎繁と婚姻を結ぶ
1575 長篠の戦い
織田信忠が岩村城を落城させ、秋山虎繁とおつやの方をはりつけに
河尻秀隆が城主に
1582 武田勝頼が滅亡すると、団忠正が岩村城主に
本能寺で団忠正が戦死すると、森長可のお城に
1584 小牧長久手の戦いで森長可が戦死すると、弟忠政が跡をつぐ
1599 森忠政が川中島へ移ると、田丸直昌が岩村城主に
1600 関ヶ原の戦いで田丸直昌は西軍に味方したことで、お城と領地を取り上げられる
代わって松平家乗が城主に
1601 家乗が麓に御殿を築いて、城下町の整備を開始する
1638 2代目松平乗寿が浜松藩へ移り、丹羽氏信が城主に
1702 5代目丹羽氏音が越後高柳藩へ移り、松平乗紀が城主に
1718 松平乗賢が幕府の許可をもらって、石垣を修理
1871 廃藩置県
1873 廃城令によって岩村城の建物は取り壊される
1881 壊されずに残っていた麓の藩主邸が火災で焼失する
1990 藩主邸跡に表御門や平重門、太鼓櫓が復元される
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歴史をふまえて岩村城を見学してみよう!

今回は「岩村城の歴史」を紹介しました。

もう一度ポイントをおさらいしておきます。

  • 岩村城女城主おつやの方
  • 信玄の跡をついだ武田勝頼と織田信長の岩村城攻防戦
  • 松平家乗が石垣や三重櫓を築いて岩村城を現在の形に
  • 江戸時代の古い町並みがのこる岩村城下町

お城それぞれの歴史を知っていると、お城めぐりもより楽しくなるので気になるお城の歴史を知れべてみるのはいかがですか。

お城の歴史を知って、もっとお城めぐりや歴史ドラマ、ゲームなど楽しんでいきましょう。

岩村城へのアクセス

参考書籍+オススメ書籍

  • 恵那市史 通史編 第1巻
  • 恵那市史 通史編 第2巻
  • 岩村城跡基礎調査報告書2 恵那市教育委員会
  • 岩村城パンフレット 恵那市発行