お城をめぐる戦い

兵糧攻めを得意とした秀吉の敵を弱らせていく戦法とは? 戦国の城攻め

兵糧攻めを得意とした秀吉の敵を弱らせる戦法とは?

いきなりですがここでクイズです。

・優秀な武将とよく訓練された兵士が守る山城を落城させるにはどう攻めたらいいですか?

力攻めで無理やり攻めますか?
しかし力攻めだと味方の損害も大きくなっちゃいます。

水攻めでお城を水没させますか?
敵は山城に立てこもっているので水没させることはできない。

 

では最小限の損害で落城させるにはどうしたらいいでしょうか?

そんな時に有効なのが今回紹介する「兵糧(ひょうろう)攻め」です。

兵糧とは食糧のこと。
なので兵糧攻めとは、敵のお城を取り囲んで外部との連絡・補給をできないようにする戦法。

補給ができないので、お城に立てこもっている敵は食糧が尽きて降伏してくるという算段です。

いかによく訓練された兵士といっても食べ物がないと戦えませんからね。

戦国時代になると兵糧攻めによる城攻めが増えました。なぜかというと、お城を作る技術が発達しより守りやすい(攻めにくい)お城が増えたからです。

では兵糧攻めを成功させるためにはどんなことが必要だったのでしょうか?

今回は「兵糧攻め」について考えていきましょう。

この記事では下記↓について解説しています
  • 兵糧攻めで勝利するためのポイント
  • 兵糧攻めの成功例と失敗例
  • メリット・デメリット
おにぎりsayama / Pixabay

兵糧攻めで勝利するためのポイント

兵糧攻めは、敵の補給を断つことで味方の損害を最小にしつつも勝利することができる戦法です。

敵の補給を断つといっても、根比べのように長期間包囲しつづけることにも限界がある。

ただ単に敵のお城を取り囲んだらそれで兵糧攻めが完成というわけではありませんでした。

 

兵糧攻めを成功させるためのポイントは3つあります。

兵糧攻めで勝利するためのポイント
  1. 城内に食糧をできるだけ貯めさせない
  2. 城内にこもる人数を増やす
  3. 城攻めに集中できるように、周辺状況を整えておく

1番の「城内に食糧をできるだけ貯めさせない」は城攻めを短期間で終わらせるため。
敵の城内に食糧が少なければそれだけ、兵糧攻めの勝率は上がります。

2番の「城内にこもる人数を増やす」は敵の食糧消費量を増やすため。
同じ量の食糧があったとして、より人数が多ければ食糧が尽きるのが早くなるのは当たり前です。

3番の「城攻めに集中できるように、周辺状況を整えておく」は、援軍などが来ることで城攻めを中断しなくてはいけないということがないようにしておくこと。
織田信長には関東地方から中国地方まで広範囲に敵対する戦国大名がいました。例えば中国地方を攻めている時に、関東地方の戦国大名に邪魔されないようにしておく必要がありました。

この3つのポイントを踏まえながら、兵糧攻めの成功例・失敗例を見ていきましょう。

兵糧攻めの成功例 鳥取城の戦い(1581年)

鳥取城(鳥取県)の戦いとは豊臣秀吉(当時羽柴秀吉)が織田信長の配下として鳥取城を攻めた戦い。

鳥取城の戦い(1581年)鳥取城の戦い(1581年)

この戦いを秀吉は兵糧攻めで勝利しています。

秀吉は鳥取城を7月に包囲してから約3ヶ月後の10月に鳥取城を落城させています。
1580年に秀吉が落城させた三木城(兵庫県)では兵糧攻めで約2年かかって落城させていました。

2年かかっていたものをたった3ヶ月で成功させたのはどうやったのでしょうか?

ポイントは秀吉の事前準備にありました。

 

秀吉はこの鳥取城の戦いに先立って準備していたことがあります。

  1. 鳥取周辺のお米を高値で買い占めていたこと
  2. 鳥取周辺の村を襲い、周辺住民を鳥取城へと追いやっていたこと

1番は、商人をつかって事前にお米を買い占めさせていました。買い占めさせておくことで、「いざ合戦!」となったときに敵が慌てて食糧を手に入れようとしても、品薄の状況にしていました。
さらに敵兵はお米が高値で売れることから、城内に備蓄してあるお米を売って、武器防具を買い揃えていたと言います。
合戦の準備で何が1番重要なのかが分かっていなかったんですね。お米を売ってしまっていたため、秀吉が攻めてきた時には1ヶ月〜3ヶ月ほどの食糧しか残っていませんでした。

2番は、村を襲うと聞くとヒドい話ですが秀吉の戦略でもありました。
村を襲っても人は殺さずに鳥取城へと追いやることで、城内に立てこもっている人数を増やしました。
増えた人数だけ食糧も早く減るように仕掛けたのです。
(殺さずにお城へ追いやっても、餓死させるわけだから結局ヒドい話です)

秀吉の1・2番の事前準備が功を奏して、鳥取城では包囲開始から2ヶ月後には食糧が尽きていたといいます。

織田信長の一代記「信長公記」には鳥取城の状況をこのように記されていました。

餓鬼(がき)のごとく、痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給えと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず

 

秀吉は1番「事前に食糧を買い占めておくこと」と2番「周辺住民をお城へ追いやる」ことで時間のかかる兵糧攻めを比較的短期間で成功させました。

兵糧攻めの失敗例 第1次木津川口の戦い(1576年)

第1次木津川口の戦いとは織田信長と中国地方の戦国大名・毛利輝元(毛利元就の孫)との間で行われた戦い。

第1次木津川口の戦い(1576年)第1次木津川口の戦い(1576年)

この戦いが起きた時、織田信長は敵対するお寺・石山本願寺(現在の大阪城にあった)を取り囲んでいました。

毛利側はこの石山本願寺を支援するために、食糧を船で大阪湾から淀川を通って石山本願寺まで届けようとし、大阪湾で織田軍と激突することに。

織田信長としては石山本願寺へ支援されては困るので、毛利軍を何としてもくい止めなければいけなかった。しかし、この戦いの時は毛利軍が上回ったため、石山本願寺への支援を許してしまいました。

 

先ほど説明した兵糧攻めを成功させるためのポイント3番で「城攻めに集中するために、周辺状況を整えておく」ことが、この時の信長はできていませんでした。

石山本願寺と仲間だった毛利輝元に援軍を送る余裕を与えてしまっていたこと(別の方面で毛利軍に圧力をかけておけば援軍は送られなかった)、支援に来た毛利軍を撃退することができなかったこと、この2つの点が原因で石山本願寺との戦いが10年という長期にわたってしまいました。

兵糧攻めのまとめ メリットとデメリット

以下に兵糧攻めのメリットとデメリットを簡単にまとめました。

兵糧攻めのメリット

「兵の損害を少なくすることができる」というのは積極的に戦闘を仕掛けていくわけではないので、損害を少なくすることができますね。

「敵のお城をあまり破壊せずに手に入れられる」は、力攻めのように門を壊し、やぐらを壊しながら攻め入ることはしないので破壊せずに手に入れることができます。
重要なのが次の作戦へすぐに移れるということ。お城を手に入れてから修復する手間が省けるので、すぐに拠点として使え次の作戦をすぐに実行できます。

「情報も遮断できる」と「心理的圧力をかけることができる」はつながっていて、敵は情報が入ってこないことで援軍が来るのか来ないのか、来るとしてもいつまでに来るのかが分かりません。なので、お城に立てこもって戦い続けるモチベーションを維持しづらくなってしまいます。
食料だけでなく情報も遮断することで、心理的圧力をかけ降伏を早めることができます。

 

兵糧攻めのデメリット

「お城を攻める側も食糧と資金を大量に必要とする」と「味方の士気を維持するのが難しい」の2つとも「合戦が長期化する」ことででてくるデメリットです。

合戦が長期化することで、敵の援軍が来る可能性は上がります。援軍が来る前に決着をつけたい。援軍が来たらお城の敵とはさみ撃ちにあってしまう。早く降伏させたいがいつまで持ちこたえるかわからない状況では、味方の士気はなかなか上がりにくいでしょう。
秀吉はこの点を、味方の陣地で市場を開き、能芸者を招くことで士気を上げていました。

さらに敵の領地に長期間いることで、味方の分の食糧にも気を使わなければいけません。自分の領地から継続的に補給するためのルートを確保したり、商人に協力してもらう、敵のお城周辺の村や田んぼを襲うなどを行なって兵糧攻めしているこちらが食糧不足にならないようにしなければいけませんでした。

参考資料