ゆうきはこんな人。
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こんにちは。
いつもご覧いただきありがとうございます。
お城を面白くわかりやすく伝えていくメディア“日本の城Japan-Castle”を運営しているゆうきです。
このプロフィールでは
- 簡単な経歴
- yu-kiのこれまでの人生
- “日本の城Japan-Castle”について
- これからの人生で実現したいこと(このブログで伝えていきたいこと)
などなどについてお話していきます。
Contents
簡単な経歴
最初に、私のプロフィールを簡単に。
- 父・母と3人暮らし。4人兄弟の2番目(姉、私、弟、妹)
- 中学は水泳部
- 大学進学と共に、神奈川県平塚市で1人暮らし。
- 大学卒業後、実家へ戻り地元で就職。
- 農業用噴霧器メーカーで資材管理・製造工程管理を担当。
- 就職して4年後、一念発起でワーキングホリデーでオーストラリアで。(ちなみにこれが初海外)
- 1年後、オーストラリアから帰国。ちょっとブラブラしつつ、派遣で働きだす。
- 2年後、フィリピン・セブ島へ3か月の語学留学。
- フィリピンから帰国後すぐにアメリカ・サンフランシスコへ!
- サンフランシスコで現地生活を満喫しつつ、放浪。
- アメリカから帰国後、派遣で行ってた会社へ正社員で就職。するも1年未満で退社。
ゆうきのこれまでの人生


1985年、岐阜県養老郡養老町に生まれました。
4人兄弟の2番目長男として生まれ、母方の祖父母・叔母とも同居してて9人家族でした。
現在は兄弟が結婚して出て行って、両親と3人暮らしです。
宇宙が好きで航空宇宙学科へ
子供のころから宇宙が好きでした。
宇宙の図鑑を飽きずにずっと読んでる子でした。
小学校の授業中にノートにコンパスで地球が「このくらいの円だとすると、木星はこのくらいの大きさの円かな~」って想像して落書きしてました。(笑)
もともと数学は苦手だったけど、大学は宇宙好きがこうじて航空宇宙学科へ。
現在、宇宙に関する仕事についてないし、大学で学んだことも使ってない。
けど大学へは行ってよかったって思ってます。
自分よりレベルの高い友達や先輩を見てきたことで、刺激を受けたし、それまでの自分のいた次元より1段階も2段階も上の次元があることが知れたのは良かったです。
勉強した内容は使ってないけど、勉強したこと自体やいろんな人や考え方に触れられたことは良い思い出です。
卒業後は地元で就職。からのワーホリへ。
大学卒業後は地元で就職しました。
農業用噴霧器メーカーで資材管理や製造工程管理を担当してました。
仕事は可もなく不可もなくといった感じで、淡々とこなしてました。
そして就職して3年ほど経ちました。
営業との会議のなかで、「今年の受注台数見込みは前年度なみです」という言葉に違和感を感じました。
その前の年度も「前期なみの受注」、その前も「前期なみ」、、、
毎年、同じ取引先に同じ製品を同じ数量売っていくだけの会社。。。
「もしかしたらおれはこのまま同じようなことを毎年続けていくだけで人生が終わっちゃうんじゃないか?」と感じるようになりました。
そこでワーキングホリデーでオーストラリアへ行くことを決意。それまで海外も行ったことなかったのに。
ワーキングホリデーでオーストラリア。
まず初めにワーホリへ行こうと思ったきっかけ。
そのころ本田直之さんの「レバレッジ・リーディング」を読んでから、それまでより自己啓発書・ビジネス書を読むようになってました。
いろんな本を読むうちに、このまま先の見える(10年後も同じように働いてるんだろうな~って想像できる)会社で働くより、今のうちに海外で1年間生活してくるのもありかなって考えてワーホリを決意しました。
オーストラリアでは英語学校へ通ったり、精肉工場の夜間掃除のバイト(上司は現地のおばちゃん)したり、好きなF1をみたり楽しいことだらけでした。
ただワーホリ後のことはほとんど考えてませんでした。ただフィリピンの英語学校へ行って、アメリカへも行きたいなって考えてた程度です。(その後実際にフィリピンとアメリカへ行きます。)
地元で再就職するも、11か月で退社。
オーストラリアからの帰国後、派遣でお金貯めてフィリピン(3か月)とアメリカ(1ヶ月)へ行ってました。
その後は派遣で働いてた会社で正社員で再就職しました。
その時は、「おれはその会社で一番読書するし、そのことが役に立つはず」と考えてました。
社長も意見をどんどん挙げてきてほしいと言っていたので、改革案を提出しました。
「改革案を見て、怒って怒鳴りにきてもらう」くらいのつもりで、実現可能性は考えず社長の本気度をうかがうために刺激的な改革案を提出しました。
しかし、そのご2週間音沙汰なし。2週間たって返事をもらったけど、古参の社員の方が「若いもんが意見出してくれてるんだから、反応してあげなきゃいけないだろう」と社長へ直訴してくれてたからでした。
社長自身が意見を挙げろと言っていたのに、反応しない。そのことから社長の本気度を疑い始めました。
その後もいろいろあって11か月で退社しました。(「残業を頼むこともあるかもしれないが、自分を殺して仕事してほしい」と社長が言ってたり、じゃあおれじゃなくロボット雇えよ)
“日本の城Japan-Castle”について

お城・戦国時代を好きになったキッカケ
高校生の時にTVゲームで「信長の野望」をやり始めたことがキッカケで歴史(特に戦国)に興味を持ち始めました。(そのころは嵐世紀だったかな)
高校、大学、社会人になってからもずっと歴史は好きで、TVゲームだけじゃなく大河ドラマや本を読んだり(学研の歴史群像シリーズが愛読書)、城巡りをするようになりました。
ブログを始めるキッカケ
「お城はもっと知れば知るほど興味が出てきて楽しいところなのにもったいない」という思いからブログをはじめました。
最初は城巡りも楽しかったですが、いろいろ知識も増えてきたころからお城へ行っても楽しくなくなってきました。
世界遺産でもある姫路城の天守内でも楽しくない、、、
どうしてかというと、展示物が面白くないから、または展示物そのものがないからでした。
この写真のようにただの部屋、空間を見せられているだけだからです。急な階段を登って天守最上階から姫路の雑多な街を見るだけ。。。
私はそれなりの知識があってそれなりに楽しみ方も見出してます。が、お城初心者や外国人観光客にとって不親切極まりないと思いました。(No Photoと書いてあるけど、展示物の英語での説明文がないなど)
姫路城に限らず、現存天守のあるお城、そのほかのお城すべてに共通して言えるのは生活感がないことです。
お城は自然物じゃなくて人工物です。お城には設計者の知恵や工夫が詰まっていて、お城を舞台に合戦もありました。
しかし現在のお城にはそういった生活感が感じられないのです。
「お城はもっと知れば知るほど興味が出てきて楽しいところなのにもったいない」という思いからブログをはじめました。
これからの人生で実現したいこと(このブログで伝えていきたいこと)
このブログで読者のみなさんに伝えたいことは、「お城は面白くて楽しいところなんだよ」ということです。
今は電気工事士のかたわらブログを書いてますが、ゆくゆくはどこかのお城を丸ごとプロデュースしたいです。
姫路城はフランスのベルサイユ宮殿やイギリスのバッキンガム宮殿以上に観光客をよべると思っています。
天空の城として有名になった竹田城や大河ドラマの舞台になったから観光客が増えたなど、一過性のブームで終わらせないようベルサイユ宮殿越えを目指していきたい。
まだまだこのブログも書き始めたばかりで未熟なところばかりですが、読者のみなさんにはご指導のほどよろしくお願いします。